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 いわゆるマイナンバー法案が、2013年5月24日にようやく可決成立した。だが、住民基本台帳番号導入の頃の反対運動が嘘か幻だったのではないかと思われるほどにニュースとしての盛り上がりに欠けている。情報立国を目指す日本の姿勢は、すっかり影を潜めてしまった。

 スマホや、タブレットは、Android搭載の中国製か韓国製、PCなら世界中から部品を調達して安くてカッコよく組み立ててしまう台湾製、そうでなければ、おしゃれなデザインのアップルのiPhoneか、iPadか、Macを購入するのが、日本人なら当たり前のような雰囲気まで出てきてしまっている。まるで、昔はたくさんの名車を創り出していた英国人が、完成度の高い日本車やドイツ車が欲しいけれど、高価なのでフランス車か韓国車を買おうか、それとも無理せず故障はあるけれどイタリアの大衆車か、その他の国の製品で我慢しようかと思案しているみたいである。

 半導体と液晶で世界を席巻し、「ウォークマン」「ザウルス」「レッツノート」など、あれほどまでに魅力的なデバイスを次から次へと開発、生産し、爆発的に売り上げてきた電子立国日本は、一体どこへ行ってしまったのか※1

 5月24日のニュースは、現代の日本社会を象徴するような展開だった。前日に80歳でエベレストに登頂した三浦雄一郎さんを華々しく報道した。その一方で、東日本大震災以来という株価の暴落は、早くもアベノミクスの限界かなどと報じられ、日本経済への不安感をプンプンさせていた。その中で情報立国の要、マイナンバーは、完全にメディアフレームから外れ、ひっそりと実施へと流されていった。

 日本の社会では、今、元気、元気ともてはやされるのは、高度成長期の流儀で、いまだに頑張ればうまく行くという価値観とともに自己実現を目指そうとする高齢者だけである。政治の世界でも、経済の世界でも、マスメディアの世界でも、高齢者が権力の座に居座り続けることも多い。その一方で、多くの中年層、若年層のサラリーマン諸氏、苦しい台所を補うべくパートに勤しむ奥様たち、そして家族を持たない正規、非正規のシングルたちは、頑張っているのに報われない現実を目の前に、差し迫る日本経済の衰退を恐れつつ、市場の動きに一喜一憂している。

 だが、高度成長期を生きてきたからといって、すべての高齢者が、経済的にも、精神的にも恵まれて、豊かに暮らしているわけでもない。豊かにはつらつと暮らす高齢者がいる一方で、日々の生活もままならない高齢者も無数にいる。

 登山でもそうだった。ヒマラヤ山脈のダウラギリ1峰で、三浦さんと同じ5月23日に66歳の登山家、河野千鶴子さんは体調不良で力尽きた。遺体の回収は難しいそうだ。現代登山は、いかに資金を調達して情報装備できるかどうかが成否を分ける。多くのスポンサーシップに支えられ、おそらくは医師をはじめとしたスタッフとの十分なコミュニケーションを図りながら、フラフラになりながらもヘリコプターで下山できた三浦さんとは対象的に、以前のコラムにも書いたとおり「登攀ルートには、遭難時の姿をそのままに氷の中に眠るアルピニスト」が数多くいる。

 恵まれた者と恵まれない者が、あまりにも激しいコントラストで描き出される社会こそが、現代社会に暮らす人々の恐怖なのである※2