1984年1月24日、アップルコンピューター(当時)はそれまで存在したパーソナルコンピューターとは「まったく異なる」パソコン、「Macintosh」を発表した。その前年、日経BP社(当時は日経マグロウヒル社)は、それまでとは「まったく異なる」パソコン誌『日経パソコン』を創刊。何が異なるって? 分かりますか?
「その他大勢の人のための」パソコン
それまでのパソコンはファイルを読み込もうと思ったら、真っ黒な画面上で「dir」とか、「run なんたらかんたら」とタイプ入力してやる必要があった。機種によってその言葉遣いも異なり、コマンドを知るまでは手も足も出ない存在だった。コンピューター技術に詳しい人たちにしか使えない代物だったわけだ。そんな難しい使わせ方しかできなかったパソコンを、画面上に表示された鉛筆のアイコンをマウスでクリックして、画面上をなぞれば絵が描けるようにした。それがMacintosh(以下Mac)だった。
パソコン雑誌はと言えば、その頃、書店を賑わしていたのは分厚い1冊のほとんどを長々とプログラミングリストで埋めた「パソコン専門誌」ばかり。中には「ゲームを作成するための言語を作ろう」「BASICインタープリタを自作しよう」というコアな雑誌も数誌あり、パソコン誌はまさにコンピューター技術を極めるためにあった。一般のビジネスパーソンの関心事はそんなコンピューター技術ではなく、ただ売上集計をしたいだけなのに、という状況だった。そこで日経パソコンが目指したのが、「パソコンのノンテクニカルな活用誌」(図1)だ。
言ってみれば、どちらも「(その当時の)パソコンに取り残された人のため」のもの。Macが登場したときのキャッチフレーズは「The Computer for the Rest of Us」。「選ばれし人々のためではなく、ごく一般の取り残された人」へだった。いいことを言ってるなあ。コンピューターの専門知識を持たない、人々。つまり、一般のビジネスパーソンはもちろん、子供たち、老人、障碍者、言語を解さない人たちにも、なんら障壁にならないパソコンを提供しよう、しかも、一般の人にも手が出しやすい価格で。
その登場にはしびれた。Macが登場する8カ月前の日経パソコン創刊前の試作版(1983年4月5日号)ではLisaに触れて「イージーパソコン登場」と書いた。「イージーパソコン」とは今となっては言葉遣いに違和感があるが、画面を30分も見ていれば使い方をマスターできる、ということを言いたくてこんなタイトルを付けた。「これからのパソコンにはみんなマウスが付きますよ」と言って、社内の専門家や業界関係者には「信じられない」と笑われたものだ。