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 ブログ、SNS、動画配信──。インターネットに次々と現れるサービスは、私たちに新しい「娯楽」を与えた。その「娯楽」は、それを作り出す機会や手段をも一般ユーザーに与えたのだ。その変化をテレビ業界に長くいる土屋氏はどうとらえているのだろうか。

■パソコンやインターネットが「娯楽の制作」に与えた影響は。

 世の中を完全に水平にしましたよね。首相が書くブログも女子高生が書くブログもある意味同じ。昔は官報とか、それを伝える新聞なりテレビなりが「偉かった」わけだけど。水平というと、言葉はいいけど、悪く言うと軽くなった。作る側も、受け止める側も。印刷物とか映画とか、そこに対する距離感が圧倒的に僕らの世代と違う気がします。昔はものを1つ作るにしても、多くの人がかかわって、そう簡単に世の中に出るものじゃなかった。だからこそ価値が認められる部分もありましたよね。

 「物を作る資格」が守られていたんですよ。テレビ局に入って、番組の枠を持たされて制作することは特別なことだった。でも、それは崩れていくし、崩れるべき。要するに、テレビ局に在籍しない人間とフラットに比べられて、さらされた状態で、「じゃあ、お前は今でも作れるのか」ということを突きつけられているわけです。本当の意味でクリエイターの質が問われますよね。

■そこで大切になってくるのは。

 こういう時代の中で、どういう表現があり得るのかということは、見つかりにくくなっていますね。

 制作者側としては、「制作」というものをいま一度見直すべきだと思いますよ。「ネットでコンテンツを配信」などというと、すぐ数値的なデータに走りがちですけど、僕は違うと思う。ビジネスを考えるときにそれは必要ですが、制作者として考えるなら、そうじゃない。やっぱり、心に直接訴えかけるものは何か、人の感情を揺り動かすものは何なのか、それをしっかり考えないといけない。

 最近「ああ、これも一つかもな」と思ったのは「崖の上のポニョ」。CGの多用などでデジタル化するのが一般的な映画の制作を手描きに戻した。僕は、手描きによって伝わるものが、確実にあることを証明したと思ったんです。筆先に込める魂みたいなものはあると思うんですよね。数値化できないものの中にも、大切なものがあったりするのではないかと僕は今でも信じているんです。