2008年6月27日、米マイクロソフトのビル・ゲイツ会長が経営の第一線から身を引きました。今年創刊25年を迎える日経パソコンでは、ビル・ゲイツ氏にたびたび単独インタビューを行ってきました。ゲイツ氏が見ていた世界はどのようなものだったのか、歴代編集長の中で、最多の単独インタビューを行った太田民夫氏からの寄稿です。
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ビル・ゲイツ会長はパソコンが大好きだった。とりわけOS(基本ソフト)に非常に興味と関心を持ち続けた。過去のインタビューを振り返り、私はその思いを強くした。
「OSを忘れることはばかげている」
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「私にとってOSというのはまだまだ興味深い分野であるといえます」(日経パソコン1996年7月15日号編集長インタビューより) 写真:清水盟貴 |
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1996年には、パソコンが登場して以来の出来事だ、と位置づけたインターネットの出現に、「(OSは)私にとって非常に興味深い分野。OSを忘れることはばかげている」と言い切った。米国・ワシントン州レドモンドのマイクロソフト本社はまさに世界のソフトウエアをつくるマシンツール(工作機械)工場だ。自動車のエンジンを作るとき、工作機械が必要なように、パソコンのソフトや周辺機器が機能を果たすためにはOSが欠かせない。「毎朝、目が覚めると(ソフトの)開発効率化をどう達成したらいいかを考える習慣になっている」。ソフトの開発・設計責任者の自負だ。
米司法省に独禁法で再提訴された渦中にあり、パソコンの普及率が急速に上がりつつある98年においても「豊富な機能をもちつつ、もっとシンプルなWindowsを実現するための努力をしなければなりません」と自戒をこめた発言を繰り返した。マイクロソフトの利益の源泉であるOSだからこその発言だったが、OS開発をしつこく追求し続ける姿勢には、「情報技術時代のものづくり」精神が生き生きとしていた。直前にインタビューした出井伸之ソニー社長(当時)は「Windowsパソコンは(操作が)難しいので日本の家庭での普及率は40%が限界」と発言していた。出井発言を意識してのことでもあったが、このころは家庭市場に食い込むためにいろいろなアプローチをしながらも、ゲイツ会長自身、「どうすればいいのか」を模索していた感じがする。