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 能登半島地震の現地レポートや、耐震をテーマにした「緊急総力特集」が載る5月号の記事を校了したのは、4月12日の木曜日。翌々日の土曜の朝、日経ホームビルダー編集部の5人全員が羽田空港に集まりました。能登に向かうためです。休日を利用して、記事に載せた被災地の光景を自分たちの目でも確かめてこよう、という話になったわけです。

 能登空港に降り立った一行は、まず、被災した地場産業の立ち直りにわずかでも貢献したいという“一念”から、空港の売店で地酒やら肴となる海産物やらをたっぷりと買い込み、レンタカーに乗り込みました。運転するのは、地震の記事を担当したデスク。彼と、同行したライターさんの二人は、既に一度、地震の直後に現地に入って取材をしており、これが二度目の訪問となります。彼らの案内で、被害の大きかった輪島市門前町へと向かいました。

 門前町に近づくにつれ、棟を青いビニールシートで覆った住宅が次第に多くなっていきます。阪神大震災の時にも、中越地震の時にも目にした光景です。「またか」と、少し重たい気分になります。

 地震から20日たった被災地では、倒壊した家屋のがれきを取り除いて更地になっていたところもあれば、大きくゆがんだ建物が、5月号に載せた写真そのままの状態で残っているところもありました。予想外だったのは、人の姿をあまり見かけなかったことです。まだひと月もたっていないので、きっと現場はごった返していることだろうと思っていたのですが。

 道路などインフラの応急補修はほぼ終わっており、壊れた建物からの家財の運び出しなども、できることはもうやり終えた後だったからでしょうか。あるいは、横なぐりの強い冷たい雨が断続的に降るという、この日の天候のせいだったのかもしれません。余震でいつ倒れてもおかしくないぐらい傾いた住宅と、辺り一帯の奇妙な静けさとのアンバランスがなんとも印象深かったです。

 私がこれまでに経験した地震取材の中で最も印象に残っているのは、中越地震で被災した、ある自治体の職員から聞いた話です。地震から半年たっていました。彼は私の取材を歓迎してくれ、こう言いました。「復旧業務は地震の直後から同じように続けてきたし、今後も続けていかなければならない。でも、マスコミが関心を持って取材に来てくれたのは地震の直後だけ。もう世間から忘れられたのかと思うと、たまった疲れがどっと出るような気がする」

 私たち日経ホームビルダーも、同じマスコミの端くれとして大きなことが言えた筋合いではないのですが、それでも今回の能登半島地震を報じるテレビや新聞は、1週間もしないうちにすっかりトーンダウンしてしまったような気がします。家づくりのプロのみなさんも、住宅被害の全容がよくわからなかったのではないでしょうか。

 そこで、5月号の「現地レポート」では、被災地で何が起きていたのかをストレートにお伝えしようと考えました。一般メディアが取り上げなかった被災住宅の写真も数多く載せています。折りしも耐震をテーマに取材を進めていた特集記事にも、地震の情報を加えました。現地レポートと合わせて26ページの、文字通りの「総力」企画です。