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50歳を過ぎて東京大学の教授に就任。土木と建築をまたいで活動する内藤氏。教育のほか、景観審議会などの委員、建築と土木の橋渡し、そして建築の設計。仕事量の多さが目下の悩みだ。

――建築と土木の頭の切り替えというのは大変だろうと思うのですが、その辺は慣れましたか。
内藤 頭の切り替えは、割と簡単にできる方なんですよ。苦労していた30代も建築だけでは飯が食えないので、事務所の中で都市計画的なこと、それから広域計画みたいな仕事をやっていましたから25万分の1というスケールの地図を広げても怖くないのです。25万分の1で計画をやった後、1分の1の原寸図で検討することも日常茶飯事でした。そうした横断的にやることは構わないのだけど絶対量の問題があります。
 要するに東京大学の先生は、公務員のような立場ですから、社会的な役割を果たさなければいけないわけです。問題は仕事の絶対量です。今は景観審議会や委員会の委員など、公の立場で判断する役割が増えています。一方で景観の分野というのはまだ開発途上だし、建築と土木をつなげるという話もある。やることはたくさんあるわけです。教育もあるわけでしょう。さらに、建築の設計がありますから、頭の切り替えというよりも絶対量が多いので障壁です。

――内藤さんとしてはすべてを追求していきたいという気持ちが強い……。
内藤 周囲の人がどう見ているかは知りませんが、僕の本籍地は建築だと思っています。建築できちんと仕事をしているので、土木の人も僕の意見に耳を傾けてくれる。単に東大の先生だから聞いてくれるというわけではないし、この立場も僕が建築家であるが故に与えられているミッションだとみています。だから、非常に見苦しい建築をつくるようなことをすれば、僕に与えられているものはすべてなくなってしまうと思っています。

――景観や土木の仕事を始めて、自分が設計する建築は変わりましたか。
内藤 それはまだ分かりません。僕がつくっているものにどういうふうに映り込んでいるかとか、影響を与えているかというのは今の時点では分からないです。ひょっとしたら5年とか10年たって、あの時期からちょっと内藤は変わったなと自分自身で思えるかもしれないけど、今の時点ではまだその瞬間を生きているので分からないですね。

――土木を知って改めて感じた建築の良いところ悪いところにはどんなものがありますか。
内藤 良いところは個人主義が比較的、健全に育っていること。悪いところは個人主義に傾きすぎているところです。両者は表裏の関係だと言えるでしょう。建築界は、みんな汗水たらして一生懸命やってきたと思います。
 もちろん土木も一生懸命やってきたわけですが、土木は、個人主義を排除しようとしてきた。両方とも、いい面と悪い面があります。建築は個人主義みたいなものを育ててきた。別の言葉で言うと作品主義かもしれないけど、それが行き詰まっているという気はします。
 要するに建築は誰のためにつくられるのか、建築は何のために建てられるのかといった時、僕に言わせると、近代的な生産技術の余剰があるわけです。余剰というのは例えば、技術的な可能性やコストダウンの可能性などです。近代的な生産技術は非常に優れていますが、その余剰を生み出している当人が蕩尽(とうじん)しているだけじゃないかと見える。
 蕩尽というのは、要するに浪費というか自分のために使っているということです。結局、近代的な生産技術の余剰が、作家性の中に収れんしているだけだと思えるわけです。それでいいのかという疑問がありますね。

――誰のためにつくっているのかという意識が弱いと。
内藤 個人主義とのバランスは難しい。個人主義を捨てろとは言いませんが、かなりゆがんできているとは言えると思います。


内藤 廣氏
1950年神奈川県生まれ。76年早稲田大学大学院修士課程修了。フェルナンド・イゲーラス建築設計事務所、菊竹清訓建築設計事務所を経て81年内藤廣建築設計事務所設立。2001年東京大学大学院工学系研究科社会基盤学助教授、03年同教授。近作は島根県芸術文化センター(05年)、とらや東京ミッドタウン店(07年)、JR日向市駅舎および駅前広場(08年)など(写真:柳生 貴也)