2008年春、島耕作が社長になった。講談社「モーニング」誌上に「課長島耕作」として登場してから25年。弘兼憲史氏が生み出したサラリーマン漫画のヒーローは、初芝五洋ホールディングスの初代社長に就任し、トップに上り詰めた。 国内にとどまらず、ニューヨークや上海、インドなど、島耕作はこれまで国境をまたにかけて活躍してきた。ビジネスの舞台を彩る背景には、新宿副都心や六本木、上海の浦東エリアをはじめとしたオフィス街や建物が描かれている。時々の経済界を取り巻く出来事を織り込み、街並みの様子を克明に映し出す同時代的なリアルさは、この作品が長く支持されてきた理由の一つだろう。
弘兼氏は、安倍晋三内閣が進めた美しい国づくりプロジェクトで、有識者会議のメンバーを務めたことがある。「首相官邸の会議では、早めに訪れて室内の様子などをスケッチした」(弘兼氏)。こうした好奇心と行動力が、綿密な下調べに基づく舞台設定に投影されている。
「小さいころは建築家になりたいと思っていた」。建築に携わる親せきがいたこともあり、弘兼氏にとって建築は比較的身近な存在だった。また、学生時代には北村修一氏、光井純氏など後に建築界で活躍する人たちとも出会っている。建築や建築家という分野に対して親近感を持つ土壌は整っていた。
しかしその割には、弘兼氏が描く漫画に建築家が登場することは少ない。「黄昏(たそがれ) 流星群」に北村修一という建築家が出てくる以外、弘兼氏も記憶にないという。なぜ、建築家は弘兼氏にとって描きたい対象とならないのか。建築の設計者や技術者の存在が見えにくく、題材として扱いにくいことも理由のようだ。
「昔のように製図板もないし、設計者が何をしているのかが分かりにくい。出来上がった建物も、誰がつくったのかが伝わってこないものが多い。構造や設備などの分野は、さらに縁の下の力持ちという状態だから…」。
最近はカーサ・ブルータスやペンをはじめとする一般誌も建築や建築家を多く扱う。しかし、それでも、漫画の中に登場して一般読者の関心を引くほどには認知されていないということなのか。「以前はお菓子づくりをする人のことを誰も知らなかったが、今はパティシエとして前面に出る人が増えてきた。建築に携わる人ももっと社会の表舞台に出てこないと」と発破をかける。
弘兼氏自身の好みは、シンプルなものよりもデコラティブな建築。「機能一辺倒では面白みがない。古来、芸術は無駄の産物でもあった。心のゆとりが豊かな建物を生み出す。後世の人に、この時代にはこういう建築をつくっていたんだと伝えられるものであってほしい」。
その意味では、新宿の都庁舎は好きな建築だ。都市では香港が気に入っている。「世界各国からやって来る建築家のショールームのような状態になっているのが刺激的でいい」。
弘兼氏の指摘は、社会の多様な要求に応えることに汲々(きゅうきゅう)とし、どこか閉塞(へいそく) 感を覚えている建築界の現状を突いた言葉として響く。
守りの姿勢から脱却して、もっと主体的に仕事を楽しむ。実社会は島耕作が活躍する物語とは異なるが、そうした心持ちの大切さに変わりはない。
![]() 弘兼 憲史氏 1947年山口県生まれ。1970年早稲田大学法学部卒。松下電器産業(現・パナソニック)を経て、1974年に漫画家としてデビュー。1983年「モーニング」に「課長島耕作」を連載開始。その他の主な作品に、「黄昏流星群」や「加治隆介の議」などがある(写真:鈴木 愛子) |