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「住空間が、人の健康のためにできることは何か」。そんなユニークな問いを投げ掛ける設計コンペが開催される。健康維持増進住宅研究コンソーシアムが主催する「健康維持増進住宅設計コンペティション2008-2009」だ。事前登録締め切りは本年2月末日、応募締め切りは3月13日。コンペの趣旨や、その背景となる「住宅と身体の関係」の近代史、応募案に期待することなどを審査委員長の隈研吾氏(建築家・慶応義塾大学教授)と副委員長の小泉雅生氏(建築家・首都大学東京大学院准教授)が語り合った。これから3回に分けて掲載する。(聞き手は日経BP社 建設局プロデューサー、山本恵久)



「健康維持増進住宅設計コンペティション2008-2009」の審査委員長を務める隈研吾氏(隈研吾建築都市設計事務所、慶応義塾大学教授) (写真:稲垣 純也)


 「“身体が住宅の主役である”ということはハッキリしているようでありながら、実はこれまであまり議論がなされてこなかった。だから、健康をテーマとするこのコンペはとても興味深く、どんな提案が集まるのか今からわくわくしている」と、隈研吾氏は期待をのぞかせる。

 なぜ住宅設計の中で、“からだ”(身体)の問題が忘れられてきたのか。これを語り合ってもらう前に、今回のコンペの趣旨を整理しておこう。

住宅や建築が人間に与える力をポジティブに創造する

 健康維持増進住宅研究コンソーシアム設計部会の部会長を務める小泉雅生氏はこう話す。「これまで健康は、医学や公衆衛生の視点で語られることが多かった。これらの分野の専門家は、健康の要件として住環境の重要性は認識しているものの、どのような住宅が最適かの議論まで行うことは少ない。それを考えることこそ、建築界に与えられた役割だ」。

 国土交通省は2007年に、村上周三氏(建築研究所理事長)を委員長とする健康維持増進住宅研究委員会を発足させた。健康に暮らせることは住まい手にとってベースとなる要望であり、これに対して「建築や住宅は何ができるか」をポジティブな観点から考えていくことが研究の趣旨だ。

 背景には、社会構造や時流の変化がある。高齢化社会が進展する中、元気な中高年が増えており、介護のための住まいではなく、長く健康でいられる住まいづくりを考える必要が出てきた。一方で、若年層の引きこもりや不登校、働き盛りのサラリーマンの自殺などが社会問題となっている。精神と肉体の両面において健康でいられる住空間が今、求められているのだ。

 対談の中で隈、小泉両氏の話は、近代以降の建築と健康のかかわりから、小泉氏が部会長を務める前記・設計部会の多岐にわたる活動の様子、現代の社会事象や日本人に特有の空間のとらえ方などに及んだ。そこで語られた多様な考察は、まさに建築文化と健康文化が深く結び付く、これからの時代の住宅、建築の姿を予見するものだった。


(注)本コンペの要項、応募シートなどについては「建築環境・省エネルギー機構 IBEC」のご案内ページ(http://www.ibec.or.jp/consortium/kenko.html)をご覧ください。


──「人を健康にする住空間」というコンペのテーマについて、隈さんにはどんな思いがあるのか?

 建築と身体の間には機能、広さ、ライフスタイルなど介在する概念がいろいろある。こうした言葉にすると少しわかりやすくなった気はするけれども、体にとって本当にこの空間がいいのか、快適なのかということは、原点でありすぎて議論されてこなかった。その意味で、今回のテーマはとても刺激的だ。

小泉 あまりにもベーシックなので、「果たして住宅が人を健康にできるのか」という問いも出てくる。コンペ案について「本当にこの空間に住めば健康になるか」と聞かれても、提案者は即答できないかもしれない。けれども、この機会に改めて、住宅と健康について考えてみてほしい。

──近代以降の建築や住宅において、「健康」はどのように意識されてきたのか?

 建築家ルドルフ・シンドラーが1922年に建てたロサンゼルスの自邸は、ベッドルームが屋上に設けてある。「屋上で寝ると健康にいい」という当時の健康法と結び付いたプランだった。シンドラーは1926年に、健康運動をけん引していたロヴェル博士の別荘「ロヴェルビーチハウス」も設計している。また、1927年にはリチャード・ノイトラがロヴェルの自邸「健康住宅」を設計した。これらの例を見ると、住宅において健康をどう解釈するか、今からは考えられないくらいの情熱を傾けて挑戦している。これは当時、世界で同時的に起こった潮流だったが、いつの間にかそういう議論はなくなってしまった。

小泉 ヨーロッパでもル・コルビュジエが「日当たりがよく健康的な暮らし」という発想を近代建築に持ち込んだ。「身体文化」という言葉を用い、「体を動かすことはある種の文化的な活動である」と主張し、それを積極的に住宅の中に取り込むことをアピールしていた。

 そうした観点で振り返ると、近代建築のムーブメントにおいてサナトリウムなどで日光を取り入れて健康を取り戻すことが重要なポイントだった。近代建築の表の推進力はガラスや鉄といった新技術、新素材だったけれども、裏には衛生概念や健康概念があったと思う。

抑圧から解放された20世紀初頭は身体賛歌の時代だった

 今、近代建築については装飾の否定など様式の話が主流になっているけれども、実は近代建築運動というのは19世紀的な抑圧からの解放であって、そこには身体の解放も重要な要素として含まれていた。身体は欲望に直結しており、その解放は悪であるというのがそれまでのとらえ方だった。それが20世紀になって悪から善へと変わった。近代建築にはそういう側面があったことが今では忘れられている。

小泉 八代高専の森山学先生に教えていただき、コルビュジエの住宅に「身体文化室」という部屋を持つものがあったことを知った。屋根の上にスペースがあって、日光浴をしたり、体を動かしたりすることができる。

 19世紀にはテーブルの脚を露出することさえ「はしたない」とされ、そこにまで布を巻いて隠したという笑い話があるくらいだ。それぐらい抑圧された時代からの解放というのは、当時の人々にとっては大きな出来事だったはずだと思う。コルビュジエが人間の身体を基準にしてモデュロールをつくったことも、大変な身体賛歌だ。古典主義的な凍結したシステムに対して、もう一度血の通った人間の肉を再生するような感じがあって、そのほかのテーマにつながっているのかもしれない。

小泉 いったん忘れられた「健康」に、なぜ再び脚光を当てるのか。建築を合理的にとらえようという近代建築運動は第二次大戦後、工業化とともにモノをいかに合理的につくるかの方向へと議論が移っていった。この流れに対して今、改めて人間の身体ベースで建築をとらえることが求められているのだと思う。

 工業化も身体をどう使ってモノをつくるかという話であって、本来はそれを無視して工業化などありえなかったはずなのにね──。

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