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 緑の海に浮かぶ船のようなクラブハウス。開場から半世紀近くたった今でも、ほぼ変わらない姿でゴルファーたちの憩いの場であり続けている。

南東からの遠景。中央に突き出た給水塔は後年に設置されたものだが、デザイン面に配慮している (写真:倉方 俊輔)
南東からの遠景。中央に突き出た給水塔は後年に設置されたものだが、デザイン面に配慮している (写真:倉方 俊輔)

南からの外観。中央の外部階段は、食堂からコースにアプローチできるよう、1987年に新設された (写真:倉方 俊輔)
南からの外観。中央の外部階段は、食堂からコースにアプローチできるよう、1987年に新設された (写真:倉方 俊輔)

 設計者はフランク・ロイド・ライトの弟子、天野太郎である。「ライトの弟子」というと、一般には旧「帝国ホテル」(1923年)や「自由学園明日館」(1921年)などを完成に導いた遠藤新が有名だが、その遠藤との出会いが天野の転機になった。

 天野は大学卒業後、鹿島の設計部に入社した。1949年、「目白が丘教会」(1950年)の設計のために遠藤新建築創作所に出向する。そこで遠藤から教わったことについて、「やたらに私にとって面白かったので、終(つ)いに有機的建築というものが病みつきになってしまった」と後に語っている。

 1952年にフランク・ロイド・ライト奨学金を得て米国に渡り、ライトの自邸であり、設計事務所でもあった「タリアセン」で1年間を過ごす。ライトは85歳になっていたが、創造意欲はますます盛んだった。戦後のライトに学んだ初の日本人として1953年に帰国する。

 1956年に鹿島を退所し、1959年に自らの設計事務所を開設した天野にとって、このクラブハウスは大きな依頼となった。

南東からの外観。手前が東バルコニー (写真:倉方 俊輔)
南東からの外観。手前が東バルコニー (写真:倉方 俊輔)

南西からの外観。大きく弧を描いているのは西バルコニー。その下が以前の浴場だった (写真:倉方 俊輔)
南西からの外観。大きく弧を描いているのは西バルコニー。その下が以前の浴場だった (写真:倉方 俊輔)

 背景には、嵐山カントリークラブの初代理事長が天野の叔父だったという縁がある。同クラブは東京都の埋め立て地にあった東雲(しののめ)ゴルフ場のメンバー有志によって設立された。都有地として返還される前に、理想のゴルフコースを自分達で作ろうというのである。

 会長に就任したのは内閣総理大臣を務めた岸信介。岸に話をつないだのも天野の叔父だった。その推薦なので、クラブハウスの設計者は早々に決まった。コースの本開場は1962年だったが、クラブハウスは前年に完成をみている。

初代会長・岸信介、二代会長・安倍晋太郎、初代理事長・天野健雄(天野太郎の叔父)らの写真が掲げられた記念室 (写真:倉方 俊輔)
初代会長・岸信介、二代会長・安倍晋太郎、初代理事長・天野健雄(天野太郎の叔父)らの写真が掲げられた記念室 (写真:倉方 俊輔)