PR

杉本貴志氏の「春秋 赤坂」担当、デザイナーとして開眼する

橋本 代表的なものとしては「春秋 赤坂」(1990、内装設計:スーパーポテト)という店を担当しました。馬場さんは、多分ご存じだと思いますけれど。

馬場 そうなんだ!赤坂の春秋は橋本さんが担当されたのですね。

橋本 あの店は、担当させてもらってよかったと今でも思っています。自分のなかに大きな変化がありました。

馬場 そんなに特別な経験だったのですか?

橋本 春秋を担当したおかげで、初めてデザインが分かったという気がします。それまでは何にも分かっていなかった。

馬場 え、それはどうして。どういうところがですか?

橋本 春秋としては2号店になる赤坂の規模は、30坪くらいでした。通常の飲食店であれば長くても半年以上はかからない大きさです。でも、春秋は準備だけで1年間。それくらい気合いが入っていて、「本物の店をつくりたい」という勢いがありました。杉本さんをはじめ、色々な人が出資して、とにかく自分たちが納得できる店をつくろうという思いで始めたのが一連の春秋ですからね。だから、期限があってないようなものでした。

一連の春秋(設計:スーパーポテト)の創作過程を収めた図録なども閲覧しながらの取材。開いているページは、陶芸家の辻清明氏とスーパーポテトの杉本貴志氏が対話している様子(写真:鈴木愛子)
一連の春秋(設計:スーパーポテト)の創作過程を収めた図録なども閲覧しながらの取材。開いているページは、陶芸家の辻清明氏とスーパーポテトの杉本貴志氏が対話している様子(写真:鈴木愛子)

馬場 橋本さんは、具体的にはどんな作業をされていたのですか?

橋本 準備の1年間で何をやっていたかというと、例えば宮大工のところに行って1日かけて打ち合わせをするとか、職人とのお付き合いが多かったですね。それ以外に、飛騨高山で古材を探したり、河原で石を拾ってきたりもしました。

 器にもこだわらなくては、ということで信楽焼の力強い作品をつくる辻清明さんという有名な陶芸家の方とコラボレーションしたんです。辻さんのところに行くと、まずは作品の解説を聴いて世間話をして……といった具合で1時間で済みそうな打ち合わせでも丸1日はかかる(笑)。辻さんに紹介していただいたほかの職人の方も、皆そんな感じでした。

 そのときの経験のなかで、デザインというのは決して独りの力ででき上がるものではないんだということが分かりました。職人をはじめ、そこに関わる色々な人たちと対話を重ねながら、アイデアを引き出していくのがデザイナーの役目なんだと身をもって感じたわけです。

馬場 なるほど。それまでも、“職人”の方とは仕事をされていたと思いますけれど、その辻先生から紹介された方には違う一面があったのですか?

橋本 そうですね。それまでに出会ったほとんどの職人の方は、どちらかというとシステマチックな仕事の仕方でしたね。例えば素材にしても、それまでの方は「この個所はこういう仕上げにしたい」というデザインの要請に合わせて素材を使っていくようなところがありました。春秋のときに出会った職人の方は、「こういう木目だからこんな仕上がりにしたい」というように、それぞれの素材の個性に向き合い、じっくり考えてつくっているのが印象的でした。

 時間をかけてこだわれば、当然コストもかかるわけです。でも、一連の春秋というのはクリエーターが真剣に遊ぶためのクラブハウスのような位置付けでしたから、採算を重視しようとはあまり考えていなかったようですね。

一連の春秋(設計:スーパーポテト)の創作過程を収めた図録を閲覧しながら(写真:鈴木愛子)
一連の春秋(設計:スーパーポテト)の創作過程を収めた図録を閲覧しながら(写真:鈴木愛子)
一連の春秋(設計:スーパーポテト)の創作過程を収めた図録を閲覧しながら(写真:鈴木愛子)

馬場 当時はまさに、バブル絶頂期。

橋本 あの時代は高級感というと欧米的なイメージが強かったんです。大きなシャンデリアがぶら下がっていたり。それに対して春秋では本物の囲炉裏のような席を中心に置いたり、田舎にあるような和を思いっきり指向しました。結果的にはトラディショナルなイメージになっていますけれど、実は最先端だったんです。

馬場 へぇー。(当時の和室の写真を見ながら)ここも、お客さんを入れる部屋だったんですか?

橋本 そう。こういう場所は、都会のど真ん中だからこそ価値があるんです。

馬場 都心といっても立地はとんでもないところでしたよね。知らなきゃ行きつけないような。

橋本 そうでしたね。