仲原正治の「まちある記」
目次
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LRTで進む「コンパクトシティ」富山
仲原正治の「まちある記」(43)
富山市はコンパクトシティを目指し、LRTを導入した。地方都市の今後を占う取り組みとして注目されている。さっそく、冬の富山に旅立った。
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自転車の街「宇都宮」住めば愉快か?
仲原正治の「まちある記」(42)
道路交通法が改正され、自転車に対する規制が厳しくなった。そこで、自転車に優しい街を調べてみた。関東では宇都宮市が積極的に自転車の利用を推進している。規制強化への対応はいかほどか、宇都宮を訪ねた。
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タワーマンションのまちづくり進む武蔵小杉
仲原正治の「まちある記」(41)
50年近くマンション暮らしをしてきた筆者にとってみても、東横線から見る武蔵小杉の町並みは、ちょっと違和感を覚える。超高層マンションが林立する「まち」の様子を確かめるために、現地を歩いてみた。
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オタク?学生?哲学のまち中野
仲原正治の「まちある記」(40)
小田急線沿線に住んでいたこともあり、中野を訪れた記憶があまりない。中野で行ったことのある場所と言えば「中野サンプラザ」と「哲学堂」くらいのものだ。その中野で警察大学校の跡地の再開発が昨年一部竣工し、大学をはじめとする施設ができた。街が変わってきていると聞いて、雨の中野を訪ねた。
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古都・鎌倉、世界遺産にふさわしいのか
仲原正治の「まちある記」(39)
高校時代に、最初にデートした場所が鎌倉だった。胸をときめかせ横須賀線に乗ったものだ。45年前の鎌倉は、静寂の中に寺社があり、観光地の匂いはしなかった。富士山が世界遺産に登録され注目されているなかで、鎌倉は世界遺産の登録の推薦を取り下げ、再起を期すことになった。今の鎌倉は世界遺産にふさわしいのか。自分…
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8月6日、広島で平和を祈る
仲原正治の「まちある記」(38)
広島・長崎に「原爆」が投下されたことは小学生時代に学び、恐ろしいという意識しかなかった。中学に入学してクラス担任の教師(若林徳子先生)に出会い、「広島」が自分の中で大きくなった。彼女は広島で原爆が落とされた時に窓ガラスで咽喉の部分を切り、その手術跡が大きく残っていた。最初の授業で広島体験を聞いて大き…
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奥深い街「下北沢」の悩み
仲原正治の「まちある記」(37)
2013年3月16日、渋谷では、東急線が地下化し副都心線につながることで沸いた。それから1週間遅れの3月23日、小田急線の下北沢駅が地下化して、開かずの踏切がなくなった。切り替え工事の記事はケンプラッツにも掲載されていた。筆者は北沢小、北沢中学校出身で19歳の春まで北沢に住んでいた。そうしたこともあ…
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「ホルトホール大分」は起爆剤?
仲原正治の「まちある記」(36)
大分とは?と尋ねても、大分市関連のモノやコトを話題にする人は少ない。大分市は、県庁所在地で経済や行政の中心であり、人口では別府市の4倍近いにも関わらず認知度が低い。2013年7月20日、この大分市に地域の活性化を目指す「ホルトホール大分」がオープンすると聞いて、さっそく、まち歩きに出かけた。
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リノベーション図る北九州市小倉
仲原正治の「まちある記」(35)
北九州市小倉の変遷は中心市街地衰退の歩みと重なっている。不況の波は大型店舗だけではなく小倉駅付近にも影響を及ぼした。一帯に空ビル、空き店舗が多くなっている。こうした中で、地元の人達が、古い建物をコンバージョンしてまちの再生を進めていると聞いたので、さっそく小倉に向かった。
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変わらない「浅草」の魅力
仲原正治の「まちある記」(34)
浅草は、不思議な町だ。江戸時代から盛り場として賑わい、その後も没落することもなく、現在まで繁栄し続け、多くの観光客が訪れる場所になっている。外国人にとっても、京都の静かで美しい寺社とは違った日本の魅力があるようだ。
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みんなで支える「みんなの家」、釜石・宮城野を訪ねて
仲原正治の「まちある記」(33)
昨年11月、アンスティチュ・フランセ東京(旧東京日仏学院)で建築家の伊東豊雄さん、「闇の国々」の著者ブノア・ペータースさん、フランソワ・スクイテンさんと一緒に「都市とユートピア」というシンポジウムに出演した。その時に伊東さんから直接、「みんなの家」の話を聞いた。「みんなの家」をつくっていく過程で、「…
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衰退した中心市街地の再生に挑む「八戸」
仲原正治の「まちある記」(32)
八戸駅前にはビジネスホテルや少し離れた場所に八食センターという食品市場はあるが、ゆっくりと楽しめる場所は少ない。観光客は種差海岸に行くか、陸奥湊(むつみなと)駅前の市場で買い物を楽しむ程度。八戸市の中心市街地は特徴がないので、観光客が行くことは少ない。今回、この中心市街地が急激に衰退してしまったと聞…
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原発被害の町、楢葉町、飯舘村を訪ねる
仲原正治の「まちある記」(31)
福島第一原子力発電所から約30kmにある、いわき市の別宅に筆者は月に1回以上帰っている。そんな近くなのに、東日本大震災の後、原発被害が厳しい地域は行ってよいのか迷ってしまい、行くことができずに2年の歳月が経ってしまった。いわき市内での被災者への対応や風聞など、何が正しいのかわからない状況だが、まずは…
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被災地・石巻で体験!中学1年生がボランティア
仲原正治の「まちある記」(30)
震災から1年9カ月経った。まだまだ、復興への道のりは険しい。特に、原発を抱える福島県は、まちづくりの一歩も踏み出せずにいる。手がついていないことがたくさんある。一方、津波被害が著しい三陸地方は、いまだ、がれきの処理が進んでいな場所も多い。地盤沈下でまちづくりができない市町村もあるという。今回は筆者の…
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「心の駅」上野。パンダ、アートを見て、アメ横に
仲原正治の「まちある記」(29)
筆者の世代は、「上野」を語るとき「上野のおやまの西郷さん」というふうに、「上野の山」という表現をしていた。上野駅の記憶は集団就職、出稼ぎなど、昭和30年代がそのまま心に残っている。上野の山の花見、美術館・博物館の存在も欠かせない。動物園にパンダが来たのは40年前だ。上野は文化の中心であり、東北人の東…
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別府八湯の「オンパク」と「混浴温泉世界」
仲原正治の「まちある記」(28)
筆者は温泉好きだ。しかし、別府や熱海などの大規模な温泉にはプライベートではほとんど行ったことがない。昭和40年代頃までは会社の団体旅行が盛んで、年に1~2回はほとんどの職員が参加して熱海や箱根の温泉に行く“行事”が定着していた。土曜日が半ドン(午前中は勤務、午後から休み)だったこともあり、土曜日の午…
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東京駅赤煉瓦駅舎が復原、丸の内と八重洲はどうなる
仲原正治の「まちある記」(27)
東京駅は鉄道の発祥から約40年経ってできた駅である。丸の内・大手町・八重洲という一大オフィス街に勤めたことのある人は買い物や散策をしていてなじみ深いと思うが、筆者にはなじみが薄い。新幹線の起点駅としては利用していたが、周辺のオフィス街にはほとんど行くことがなかったからだ。東京駅の記憶は、1964年に…
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転換していく「柳都(りゅうと)」新潟
仲原正治の「まちある記」(26)
新潟の最初の記憶は、1964年に発生した新潟地震で、液状化現象によって鉄筋コンクリート4階建ての県営住宅(川岸町アパート)が傾き、昭和大橋の橋げたが落ちた映像だ。最初に新潟に訪問したのは、大学1年生の時だった。新潟地方裁判所で「反戦自衛官小西誠」の裁判の傍聴で訪れた。仙台から山形を経由し新潟まで雪の…
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仙北市ってどこ?創造農村って何?
仲原正治の「まちある記」(25)
平成の市町村大合併は、地域の名前をわからなくした。東日本大震災が起こった時、南三陸町と聞いて、「三陸」という名称から岩手県にあるのだろうと思ってしまった。仙台で学生時代を過ごし、いわきに家を持ち東北に馴染みのある筆者ですらそうなのだから、都心部で暮らす人にとって、合併によって変更になった「まち」の名…
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景観で揺れる横浜市、都市デザインを捨てる?
仲原正治の「まちある記」(24)
横浜は今、景観論争で揺れている。「みなとみらい21・新港地区16街区」の結婚式場のデザインを巡って、横浜市長の諮問機関である横浜市都市美対策審議会の協議が不調となったからである。横浜市は、この案件のデザインをほぼそのまま認めて、市の土地を貸付ける判断をするのではないかと推察されている。