仲原正治の「まちある記」
目次
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銭湯と大学のまち「千住」
仲原正治の「まちある記」(23)
千住には江戸から昭和の歴史の一部が今も残っている。昔は、日光街道、奥州街道の最初の宿場で、品川、板橋、新宿と並ぶ五街道の主要宿であり、その中でも一番栄えていたと言われている。その後、千住は“ふつう”の下町になったが、近年は、多くの銭湯が健在なことで注目されている。最近は5大学を誘致したこともあって学…
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“株式会社神戸市”から「デザイン都市・神戸」へ
仲原正治の「まちある記」(22)
神戸は、港町というと最初に思い浮かべる都市のひとつだ。ほかに長崎、横浜、函館、新潟なども連想できるが、これらは皆、約150年前に開港した都市である。長崎、横浜、函館が1859年に、神戸が1868年、新潟が1869年に開港した。1995年の阪神・淡路大震災で相当なダメージを受けた神戸だが、復興のスピー…
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若者の街・渋谷に大人テイストを付加できるか
仲原正治の「まちある記」(21)
渋谷がまたひとつ変わろうとしている。家族が楽しめる街から若者中心の街へと変わってきた渋谷が、大人の街を目指すという。2012年4月26日、その核となる新しい施設「ヒカリエ」が誕生した。今回は、ヒカリエによってこれまでとは違った顔を持つようになる渋谷を取り上げる。
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廃校を“地域資源”に活用する京都と東京
仲原正治の「まちある記」(20)
入学の季節だ。この季節になるといくつかの学校が統廃合され、廃校も増えてくる。学校は地域の拠点であるとともに、人々の記憶の原点である。街のランドマークである学校が消え、自分の通っていた場所の記憶が薄れてしまうと、地域のコミュニティも少しずつ希薄になってしまう。その面からも学校の活用、再利用は大切だ。今…
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震災復興のバックアップも担う仙台といわき
仲原正治の「まちある記」(19)
東北のいわき市と仙台市が筆者の故郷だ。いわき市では妻の実家のすぐそばに17年前に家を建て、週末住宅として野菜作りなどを楽しんでいる。仙台は大学時代を過ごした街だ。様々な人との出会いがあり、今でもこの街に住んでいる多くの人たちとの親交がある。大学卒業後の40年間で2度も大震災に見舞われるなどとは思って…
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「売買春」から「アート」へ、横浜・黄金町
仲原正治の「まちある記」(18)
横浜では、子供の頃に、絶対立ち入ってはいけないと厳しく言われていた地区がある。黄金町地区だ。夜になるとピンクのネオンが輝き若い女性が道で客引きもする――。そんな街の状況は、戦後に始まり、つい7年前まで続いていた。いわば横浜の“負の資産”とでも言うべきものを抱えてきた街である。今回は、筆者も一緒にまち…
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季節の移り変わりが肌で感じられる鶴岡
仲原正治の「まちある記」(17)
山形県鶴岡市を最初に意識したのは40年前に遡る。当時、妻の実家の福島県いわき市に暮から正月に滞在するのが恒例だったが、暮になると山伏(修験者)が「家内安全・無病息災」の札を持って来ていた。義父がお布施を渡し会話を交わすのだが、山伏は「羽黒山から来ました」と言っていた。鶴岡や出羽三山を意識したのはそれ…
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九州新幹線も開通した「集積地・福岡」の魅力と課題
仲原正治の「まちある記」(16)
九州最大の人口を抱える福岡市は、飛行場を含めて様々な都市機能がコンパクトにまとまっている。さらに、バブル経済を背景にシーサイドももち、キャナルシティ、川端再開発、アイランドシティ計画と次々にまちづくりを進め、都市機能の集積と拡大を図ってきた。2011年3月12日には九州新幹線が全線開通。博多駅前が大…
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「ウナギと音楽」文化を楽しむ土壌が育つ浜松
仲原正治の「まちある記」(15)
小学生の頃、東海道線で京都、大阪方面に行くときに必ず、浜松駅で「うなぎ弁当」を買ってもらった記憶がある。就職して浜松の近くに出張すると決まって、夜のお菓子「うなぎパイ」に遭遇する。私にとって浜松はウナギの町だった。しかし、いまや浜松市は「日本の楽都」と呼ばれるほどだ。日本一の楽器生産量を誇り、「音楽…
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市民の力で堀割り再生した“ヴォーリズ息づく”近江八幡
仲原正治の「まちある記」(14)
1585年(天正13年)豊臣秀吉の甥である豊臣秀次が八幡山に城を築いた。その日から近江八幡の歴史は表舞台に立った。京都に近く、日本海からの通り道にあるこの場所で、秀次の楽市楽座などによる商業政策は、のちに近江商人といわれる基礎となっている。現在、近江八幡市は当時作られた八幡堀を中心に町が発展し年間3…
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「音楽・映像のまち」を打ち出す川崎駅周辺
仲原正治の「まちある記」(13)
川崎といえば近年、「若者の町」というイメージが強くなっている。かつては「公害の町」「ギャンブルの町」というネガティブなイメージがあった。京浜工業地帯を支える労働者の町として栄え、プロ野球球団もあり、日本の高度成長を支えた街だった。しかし、臨海部の埋め立てによる大規模工場の立地によって、大気汚染が進ん…
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仮面ライダーの町「石巻」再生への道
仲原正治の「まちある記」(12)
連載では秋葉原、境港市と2回続けて、マンガやアニメなどをテーマにまちづくりを進める都市をレポートした。メディア芸術の分野が日本の成長産業といわれている点を意識したラインナップでもある。今回はマンガを取り入れた中心市街地の活性化に取り組みながらも、東日本大震災で被災した石巻市の実情を報告する。
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ゲゲゲの町と石見銀山に見る“持続”の条件
仲原正治の「まちある記」(11)
鳥取県と島根県の人口は47都道府県で最下位(鳥取県約58万人)と下から2番目(島根県約71万人)である。毎年減少していて、就職の場が少ないため若い人がなかなか定住できないのが現状だ。こうした中、漁業で栄えた鳥取県境港市は「ゲゲゲの町」として全国的に有名になり、島根県の石見銀山は世界遺産として多くの人…
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サブカルチャーの街へと変遷した秋葉原
仲原正治の「まちある記」(10)
「電蓄(でんちく)」を作るために真空管やスピーカーを買ってはハンダ付けしている父親の姿を見て育った私にとって、秋葉原は「電気街」だ。子供のときに一緒に行った秋葉原の街で、用途不明の電子パーツやトランジスタを探している父の姿は不思議であり、頼もしくも見えた。
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「大大阪時代」がつくった大阪の基盤
仲原正治の「まちある記」(9)
大阪はこれまで、「水の都」「天下の台所」などと形容されてきた歴史がある。「商人の町」としてのイメージも強い。現在は都市の再開発が活発に行われているが、それとは別に大阪市と大阪府のねじれが問題になっている。大阪はこれからどういう街になろうとしているのか、大阪のまちづくりについて考察してみたい。
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文化芸術イベントは街や村に有効か(越後・妻有と横浜市)
仲原正治の「まちある記」(8)
毎年、日本のどこかでトリエンナーレとかビエンナーレという美術展が開催されている。トリエンナーレは3年に一度、ビエンナーレは2年に一度に行われる現代美術展を指す。今回は、こうした文化芸術イベントが、まちづくりやむらおこしにどのような効果をもたらしているのかを考察してみたい。
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超高層ビルが林立する街で大丈夫か(東京都)
仲原正治の「まちある記」(7)
超高層ビルは本当に大丈夫なのか?今回の震災で芽生えてしまった疑念である。特に東京には超高層ビルが林立しており、震災に対する脆弱性も明らかになった。東京には様々な街があり、各々に街のカラーがある。それを一度にまとめて書くことはできないので、今回は超高層ビルに突きつけられた課題を中心に、東京全体を捉え直…
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赤煉瓦の街から海上自衛隊が被災地支援 (京都府舞鶴市)
仲原正治の「まちある記」(6)
京都府舞鶴市は、原発銀座と言われる若狭湾地方の高浜原発からは20km圏内の都市だ。2004年に死傷者11名を出した美浜原発や高速増殖炉「もんじゅ」など14基の原子力発電所が近隣にある。市民は震災をあまり意識していないように見受けられるが、原発の話はかなり深刻に受け止められている。
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「世界のフクシマ」に戸惑い怒る住民(福島県)
仲原正治の「まちある記」(5)
「チェルノブイリかフクシマか」――。原発問題で揺れている福島の県民たちは、メディアの見出しなどに踊るこうした表現に戸惑いを隠せない。4月1日に掲載した連載の第1回で、いわき市を中心にその被災状況を記したが正直なところ、まだ実情を伝えきれた気がしていなかった。その後、会津地方などを含め、4月から5月に…
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震度7の町でコミュニティを再考する(宮城県栗原市)
仲原正治の「まちある記」(4)
東日本大震災で震度7を経験した町がある。宮城県栗原市だ。この町は約3年前の「岩手・宮城内陸地震」でも震度6強の地震を経験している。岩手・宮城内陸地震は山間部の温泉地を襲い、私の友人で栗原市の観光産業づくりを手伝っていた、観光・交流プランナーの麦屋弥生さんが「駒の湯温泉」で土石流に流されて尊い命を失っ…