
藤森照信∞縦横無尽
目次
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藤森照信∞縦横無尽「試行錯誤の末にたどりついた打ち放しの地平」
「打ち放しコンクリートは誰のもの?」その5
小叩き仕上げが引き継がれることはなく、打ち放しという表現の自由を獲得したコンクリートは、極東の島国日本で圧倒的な支持を受ける。高温多湿で、およそコンクリートに向かない気候もなんのその。意地でも住むと友は言う。
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藤森照信∞縦横無尽「小叩きが打ち放しに変わるとき」
「打ち放しコンクリートは誰のもの?」その4
コンクリートの表現を追いかけて、前回に引き続き小叩きと打ち放しを考える。世界で二番目の打ち放しコンクリート建築は、レーモンドが日本でつくった自邸だった。成り立ちといい、広がりといい、日本と浅からぬ縁がある打ち放しである。
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藤森照信∞縦横無尽「構造を表現しろ」の裏に日本の木造建築あり?!
「打ち放しコンクリートは誰のもの?」その3
「小叩き」と「打ち放し」。コンクリート建築を考えるとき、ふたつの表現の始まりと交わりが鍵となることを突き止めて、藤森氏は旅を続ける。フィッシャー、ベーレンス、ムテジウスとたぐり、やがてそれは日本へ結びつく。
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藤森照信∞縦横無尽「打ち放しは、コンクリートではなく型枠の表現である」
「打ち放しコンクリートは誰のもの?」その2
打ち放しよりも先に、コンクリート建築の表現として「小叩き」仕上げがあったのではないか。ミュンヘンの旅で新たな発見をした藤森氏。記憶と知識の太い縄をたぐってみれば、かつて思わぬ発言に遭遇したことを思い出す。ミスター日建設計と言われた林昌二氏の、衝撃の考察だ。
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藤森照信∞縦横無尽「打ち放しコンクリートは誰のもの?」
その1「発明家と造船家も魅了したコンクリートという材料」
20世紀近代建築を語るとき欠かせない材料、それはコンクリート。打ち放しコンクリートという仕上げは、フランスで始まった。しかしその後大きく花開くのは、なぜか極東の島国日本。世界広しといえど、ここまで打ち放しコンクリートの建築が、普通に建っている国はない。
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藤森照信∞縦横無尽「オーストリアでジブリアニメのススワタリを考察」
「リスト生誕の地に完成したストークハウス」その3
「ストークハウス」の壁に木炭を貼付けた。チェコの若者が、「『となりのトトロ』に出てくるススワタリのようだ」と言う。ジブリアニメの影響力をあらためて実感しつつ、いきおいススワタリにみる日本建築と日本人の世界観を考察する藤森氏である。
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藤森照信∞縦横無尽「最初で最後の茅葺き屋根の上にコウノトリが巣をつくる日」
「リスト生誕の地に完成したストークハウス」その2
「ライディング・プロジェクト」でつくった宿泊施設となる小さな建築は、5m四方に納まる茅葺き屋根の木造平屋。オーストリアでは今も茅葺きは現役で使われており、材料の茅も豊富にとれる。てっぺんに置いた巣に、早くもコウノトリが間借りをするかと期待は膨らむ。
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藤森照信∞縦横無尽「リスト生誕の地に完成したストークハウス」
その1「オーストリアのライディング村に日本の建築家が大集合」
オーストリアのライディング村で、日本人建築家10組による小さな建築で村おこしをしようというプロジェクトが進んでいる。その第一弾として、藤森氏が設計した「ストークハウス」がいよいよ完成。コウノトリ招致計画を盛り込んだ、ゲストハウスである。
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藤森照信∞縦横無尽「ミースは坂倉準三によってつくられた」
「アジアの建築はモダニズムを獲得できるのか」その4
モダニズム建築の祖のひとりと言われるミースが、あの独特の柱とガラスだけで構成する建築をつくり始めた陰に、坂倉準三がいた。はたまた、コルビュジエより先に打ち放しに取り組んだのは、レーモンドである。それはモダニズムを揺るぎない内なるものとして獲得した、日本の建築家たちの努力の現れであると藤森氏は分析する…
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藤森照信∞縦横無尽「丹下健三を認めたのがアメリカだった理由」
「アジアの建築はモダニズムを獲得できるのか」その3
前回からの続き。ヨーロッパで発祥したモダニズムを、日本は伝統という応用問題を解くことで獲得した中心に丹下健三がいた。その丹下を世界で評価したのはアメリカだった。なぜかという理由を藤森氏は、磯崎新氏の解釈を聞いて納得したという。
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藤森照信∞縦横無尽「伝統という応用問題で解いたモダニズム」
「アジアの建築はモダニズムを獲得できるのか」その2
藤森氏いわく。モダニズムを自分たちのものとしていくときに欠かせない応用問題は、伝統の問題。それを解くことで、自分のものに出来る。日本の丹下だけでなく、アアルトも、ニーマイヤーも、そしてミースもそうだった。
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藤森照信∞縦横無尽「アジアの建築はモダニズムを獲得できるのか」
その1「台湾でまさかのケーススタディハウス」
1920年代に原点があるモダニズムを、リアルタイムで経験した国は意外に少ない。ヨーロッパ以外では、日本と中南米の一部。アメリカは戦後になって世界の舞台に出てくるので、実はたいして経験していない。台湾でひとつだけ、藤森氏は本物のモダニズム建築を見たことがあるという。素人の設計ながら見事なモダニズム感で…
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藤森照信∞縦横無尽「都市の記念碑をつくった建築家」
藤森氏いわく。東京の都市のイメージを決めているのは、丹下健三と日建設計。京都と大阪は、はからずも原広司。大都市にでかい建築を建てているかどうかは、代表作とはまた別の、建築家のもつ命運である。
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藤森照信∞縦横無尽「いつの時代も想定外は起こっていた」
2012年11月に決まった「新国立競技場」の基本構想(註1)の話題に端を発し、建築と想定外の出来事に話は及ぶ。想定外の攻撃、想定外の法律の運用。いつだってそれは起こる可能性があるのだと知っていた先人は、念には念を入れて対処してきた。それでもはまった穴もある。
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藤森照信∞縦横無尽「都市のモニュメントとしての東京駅」
保存復元が終わった東京駅に、全国からたくさんの人がやって来ている。あれほどたくさんの人に眺められた近代建築は、ほかにないのではないか。あの人出は後世に語り継ぎたいと、藤森氏もびっくり。そして東京駅は、いまの街のスケールになって、初めて生き生きしてきたように見える。
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藤森照信∞縦横無尽「建築は個々の人が生きてきた記憶の器である」
「東京駅は近代建築最後のロウソクの炎」その2
誰も関心を示さなかった近代建築を探索していく面白さは、コロンブスの新大陸発見のようだったと回想する藤森氏。それまでの保存論にはなかった、個々の人にとって、古い建築が果たす役割について考えるようになった。
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藤森照信∞縦横無尽「東京駅は近代建築最後のロウソクの炎」
その1「そしてみんな壊れた」
2012年10月、竣工当時の姿に復元された東京駅が姿を現した。今回の工事で、藤森氏が永いこと不思議に思ってきた謎が解けた。やはり東京駅は、他に類をみない建造物であるという。
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藤森照信∞縦横無尽「欧米建築家が石山修武を理解できない面白さ」
「21世紀の建築を思うとき、近代以前の信仰について考える」その7
ロディアやシュバルがつくったような作為のない変な建物のなかに見る、20世紀が切り捨てたわけのわからないものや、自然と人工物の関わりの起源。そこに21世紀の可能性を追求する藤森氏は、朋友・石山修武氏の建築が、世界で評価されにくい事実に首をかしげる。
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藤森照信∞縦横無尽「私の建築が真似されないのはどうしてだろう」
「21世紀の建築を思うとき、近代以前の信仰について考える」その6
自身がつくる建築は「変なもの」であると自覚する藤森氏。そこに反応する世界の人々。それがどこからくるものなのか、掘りさげ続ける日々。世に知られる変な建築との違い、共通点、藤森氏が、許せる変なものと許せない変なもの、とは。
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藤森照信∞縦横無尽「常識の延長で理解できることが建築の最大の強さ」
「21世紀の建築を思うとき、近代以前の信仰について考える」その5
目に見えないものが、見えるものを支配するようになって、やせ細りすぎた20世紀建築。一般の人の関心から遠ざかったことは宿命である。そこを通らなければ行けない境地があることを、身を以て証明する藤森氏。抽象を経て、建築が獲得するものは?