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明治以降:西洋化する東京と地方

 周知の通り、日本では明治維新前後から、西洋化と近代化が大きく進みました。近代的な科学技術だけでなく、西洋の様式や思想も併せて導入したのです。両者はなかなか分けづらい状態で入ってきたといってよいと思います。様々なものが西洋化、そして近代化していきましたが、必要性の度合いもあって、導入の順序がありました。

 まず、近代的あるいは西洋的な機能の建物は、それまでの日本に類例が少なく、変化が早く進みました。富岡製糸場(群馬、東30選)はその典型で、いわゆるお雇い外国人に製糸場の諸々を任せて建設したこともあり、建築にも木骨レンガ造やトラスなどの西洋および近代の技術が取り入れられています。産業面では手宮機関車庫(北海道、東30選)などの鉄道施設も同様です。

 開智学校(長野、東30選)済生館本館(山形、東30選)といった学校や病院でも西洋風の意匠が取り入れられましたが、これらは江戸時代以来の伝統的な大工棟梁の手によって西洋建築がつくられた、いわゆる「擬洋風」と呼ばれるものです。

開智学校(イラスト:宮沢洋)
開智学校(イラスト:宮沢洋)

 また国内外の貴賓のための迎賓館といえる建物も従来はなく、東京では鹿鳴館(東京、現存せず)、地方でも函館区公会堂(北海道、東30選)などが洋風でつくられています。

函館区公会堂(イラスト:宮沢洋)
函館区公会堂(イラスト:宮沢洋)

 このほか特殊な用途としては、江戸時代末に洋式軍学を採り入れた五稜郭(北海道、東30選)が築造され、網走刑務所(北海道、東30選)の舎房はレンガ造でつくられました。

 外国人居留地の住宅ももちろん洋風建築で建てられました。グラバー邸(長崎、西30選)が現存遺構では古く、横浜や神戸の居留地にも洋館が建てられていきます。