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復興に取り組みつつ中山間地域のモデルを示す

──例えば山古志が、今後の中山間地域としてのロールモデルを示すということですか?

長島 我々みたいなところの中山間地域は戦後、自信をなくしてきたんですよ。というのは「不便でしょう?」って周りに言われる。山古志は特に雪がいっぱい降る。それで、「雪も降るでしょう?」って言われたりもする。そのうちに、自分たちの生活って巷から見たらひどいんじゃないかって、そう思ったのかも分からない。ふるさとが大好きだって言うことができない時代に生きてきた世代が、実は存在するんですね。

山古志は全域が山岳地帯で、日本有数の豪雪地帯でもある。右手は、旧山古志村と旧広神村(現魚沼市)の間にある全長875mの手掘りのトンネル「中山隧道」。新中山トンネルが開通した1998年以降は史跡として残されている(写真:藤村龍至)
山古志は全域が山岳地帯で、日本有数の豪雪地帯でもある。右手は、旧山古志村と旧広神村(現魚沼市)の間にある全長875mの手掘りのトンネル「中山隧道」。新中山トンネルが開通した1998年以降は史跡として残されている(写真:藤村龍至)

 そうやってずっと都市部の人から不便でしょう、平らなところに出てきなさいって言われていたんだけれど、(中越)地震の後に少し変わったんです。大人たちが何を言い出したかというと、俺たちは山古志が大好きだ、あそこは俺たちの生きがいだ、山古志に帰りたいっていう話を始めた。そうしたらね、それが子どもたちの世代にも伝わった。山古志に住んでいる人ってあそこが大好きだったんだ、あそこに暮らすことが本望だと思っていたんだって分かってくれたらしいんですよ。

 もう一つ、それまで中山間地域の農村というのは周りとそんなに触れ合うことがなかった。逆に少し閉鎖的で、人が来たときに排除をするようなところもあったんだけれど、震災後に圧倒的に多くの支援をいただいたことによって、人と触れ合うことができたんです。2004年の災害ですけれど、いまも山古志にはボランティアの人が来てくれている。

──大学生のボランティアですか?

長島  ええ、学生さんがね。もうボランティアっていうよりも、住民の生活をサポートするという役割に近いですね。一時的なボランティアからは卒業して、一年に数回来てくれるんです。若い人たちがそこで祭りを共有したり、場合によってはおじいちゃん、おばあちゃんのところに行って地域の営みを共有したりということもある。

 自分の息子や孫よりも下の、そういう世代が来てくれるのは、実はおじいちゃん、おばあちゃんは結構好きなんです。東北の被災地にも多くの大学からボランティアに入ったり、調査に入ったりしていますけれど、そういうものを継続できる体制が必要なんじゃないでしょうか。大学は都心回帰っていうことも言っているんだけれど、場合によってはそういったことで単位を取れたらよいのかも分からない。岩手の町の再生のために1年間、僕らのグループが行ってきますみたいなことでね。確かに知識も必要だけれど、そういうことを通した“想い”っていうのも大学生の時代にもっと養うべきだろうなと私は思っています。

 そうやって触れ合っていくなかで分かったのは、いままでは裏の畑でつくっていた野菜を自分で食べて、親せきに分けて、余ったものはもう捨てるしかないと思っていたのが、そうした野菜を喜んで持って帰ってくれる人たちがいる。自分たちの生活をみんなが認めてくれるんじゃないか、農村で本物の生活を目指せるんじゃないか。そういうことに気付いた人たちが結構いるんです。

──具体的にUターンの動きなどはあるのでしょうか?

長島 村長のときにね、定年になったら帰ってきてくれって我々の世代にはずっと言っていたんです。だから、うちの集落だけで3軒くらいが帰ってきている。例えば、親御さんの足が不自由になったのでこちらで世話をしながら、近所の企業にお勤めになったり、田んぼや畑をやったりしながら生活をしている人がいる。まだ、たったの3軒ですけれど、東北の被災地も含めて全国で積極的にそういう呼び掛けをしたらどうかなと。

 若い世代でも私のところの息子などは、家にはどうも帰ってきそうにないと思っていたら、実は帰るって急に言い出した。何をするかと思ったら、地域のもの、農家でつくったものを使って生きていく道を探したいというふうに言ってね、いまなんとなくやっていますよ。そんなに急に広がるわけじゃないけれど、少しずつでもそういった動きが出てきてくれたりしたら、いいんじゃないかなと私は思っています。

山古志闘牛場。中越地震によって被害を受けた後、06年に復旧して使用を再開。さらに09年にリニューアル工事を実施した。国の重要無形民俗文化財「牛の角突き」をここで行う。長岡市が地域の観光資源と位置付けている(写真:藤村龍至)
山古志闘牛場。中越地震によって被害を受けた後、06年に復旧して使用を再開。さらに09年にリニューアル工事を実施した。国の重要無形民俗文化財「牛の角突き」をここで行う。長岡市が地域の観光資源と位置付けている(写真:藤村龍至)

山古志闘牛場。震災復興の応援メッセージが書かれたボードを移設し、観客席の裏側に張っている(写真:藤村龍至)
山古志闘牛場。震災復興の応援メッセージが書かれたボードを移設し、観客席の裏側に張っている(写真:藤村龍至)