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坂倉準三の惜しまれる建築群

 渋谷駅を語る上で欠かせない存在が建築家の故・坂倉準三(1901~69年)だ。戦後、渋谷駅の機能強化を図るため、東急電鉄の事実上の創業者、故・五島慶太(1882~1959年)が坂倉に「渋谷総合計画」の立案を依頼した。それに基づき1954年以降、坂倉設計の建物や連絡通路が数多く誕生した。今回の駅の造り変えで、それ以前に竣工した建物を含めすべてが解体される。

 既に、渋谷ヒカリエの建設に伴い東急文化会館が、渋谷マークシティの建設に伴い京王ビルが解体されている。駅と渋谷ヒカリエを結ぶデッキが完成して、銀座線渋谷駅の改良工事が本格化すると、東口の連絡通路が解体される。

 前述した通り、東横線渋谷駅と東急百貨店東横店東館は2013年4月以降、解体に着手する。駅全体の工事が進めば、百貨店の西館と南館についても順次、解体に至るとみられる。

 以下、渋谷駅に付随する建築物を写真で綴る。

東急百貨店東横店東館を東から見る。故・渡辺仁(1887年~1973年)の設計で1934年に完成した。坂倉準三が設計した南側の増築部分を含め2013年3月末に閉店となり、その後に解体される予定だ。渡辺仁は東京・銀座の和光などを設計した(写真:ケンプラッツ)
東急百貨店東横店東館を東から見る。故・渡辺仁(1887年~1973年)の設計で1934年に完成した。坂倉準三が設計した南側の増築部分を含め2013年3月末に閉店となり、その後に解体される予定だ。渡辺仁は東京・銀座の和光などを設計した(写真:ケンプラッツ)

東急百貨店東横店東館増築部分を東南から見る。坂倉準三の設計で1954年に竣工した。2013年3月末の営業終了以降、解体予定(写真:ケンプラッツ)
東急百貨店東横店東館増築部分を東南から見る。坂倉準三の設計で1954年に竣工した。2013年3月末の営業終了以降、解体予定(写真:ケンプラッツ)

渋谷駅東口の東急文化会館に通じていた連絡通路を東南から見る。坂倉準三の設計で1956年に会館とともに竣工した。2012年1月現在も使用されているものの、銀座線の新ホーム建設に伴い解体される予定だ(写真:ケンプラッツ)
渋谷駅東口の東急文化会館に通じていた連絡通路を東南から見る。坂倉準三の設計で1956年に会館とともに竣工した。2012年1月現在も使用されているものの、銀座線の新ホーム建設に伴い解体される予定だ(写真:ケンプラッツ)

東急東横線渋谷駅を東南から見る。連続アーチ屋根と扇形壁面が印象的。東横線は2012年度中に地下化を予定しており、その後、解体される予定(写真:ケンプラッツ)
東急東横線渋谷駅を東南から見る。連続アーチ屋根と扇形壁面が印象的。東横線は2012年度中に地下化を予定しており、その後、解体される予定(写真:ケンプラッツ)

壁面のディテール。鋼板とみられる(写真:ケンプラッツ)
壁面のディテール。鋼板とみられる(写真:ケンプラッツ)

東急百貨店東横店南館を南西から見る。坂倉準三の設計で1970年に竣工した。窓の配置が特徴的。駅の工事が進めば、西館とともに解体に至るとみられる(写真:ケンプラッツ)
東急百貨店東横店南館を南西から見る。坂倉準三の設計で1970年に竣工した。窓の配置が特徴的。駅の工事が進めば、西館とともに解体に至るとみられる(写真:ケンプラッツ)

東急百貨店東横店南館の窓。規則性があるのかないのか……(写真:ケンプラッツ)
東急百貨店東横店南館の窓。規則性があるのかないのか……(写真:ケンプラッツ)

東急百貨店東横店西館を南西から見る。戦前に4階までで建設が中断していた。5階から上は坂倉準三の設計で1954年に東急会館として竣工(写真:ケンプラッツ)
東急百貨店東横店西館を南西から見る。戦前に4階までで建設が中断していた。5階から上は坂倉準三の設計で1954年に東急会館として竣工(写真:ケンプラッツ)

地下鉄銀座線の高架橋が東急百貨店東横店西館に潜り込む箇所。内部に銀座線渋谷駅がある(写真:ケンプラッツ)
地下鉄銀座線の高架橋が東急百貨店東横店西館に潜り込む箇所。内部に銀座線渋谷駅がある(写真:ケンプラッツ)

東急百貨店東横店西館を北(ハチ公口)から見る。右の超高層は渋谷マークシティ。以前は坂倉準三が設計した京王ビル(1961年)が建ち、連絡通路でつながっていた(写真:ケンプラッツ)
東急百貨店東横店西館を北(ハチ公口)から見る。右の超高層は渋谷マークシティ。以前は坂倉準三が設計した京王ビル(1961年)が建ち、連絡通路でつながっていた(写真:ケンプラッツ)

東急百貨店東横店西館の壁面ディテール(写真:ケンプラッツ)
東急百貨店東横店西館の壁面ディテール(写真:ケンプラッツ)