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谷口吉郎の傑作ロビー、実は難産だった?

 大倉会長だけでなく、大成観光の社長に就任した野田岩次郎も「欧米の模倣ではなく、日本の特色を出したホテル」にしたいという考えで一致していた。両者とも設計には積極的に口を出していたようだ。

 設計に関わる人が増えるほど、計画は一筋縄でいかないもの。社史「ホテルオークラ二十年史」によると、「せっかく案がまとまっても、大倉会長の承認が容易に得られないこともあった。会長の新ホテルにかける情熱がなみなみでないだけに、自分なりのイメージを膨らませている。ダメを出すだけでなく、いろいろ具体的な意見や注文を出した」とある。

 例えば、ホテル全体の装飾について、大倉会長は「光琳の豪華絢爛さではなく、光悦、宗達に見られる優美追求の精神を汲んだものにする」という考えがあり、社史にもその記録が残っている。しかし、いざ大倉会長が委員会に資料として持ちこんだものは、大倉集古館にあった国宝「平家納経(へいけのうきょう)」の模造品で、豪華絢爛そのものだった。委員会は延べ36回開かれたが、谷口をはじめ、委員たちにとって、大倉と野田の両者が何を望んでいるのかを探る時間が多かったようだ。

本館のそばに建つ大倉集古館。大倉喜八郎が設立した私立の美術館で、1998年に国の登録有形文化財となった。本館の建て替えに合わせて位置を少しずらす工事を行うため、休館中。伊東忠太が設計し、1927年に竣工。設計委員会はこの中で開かれることもあった(写真:日経アーキテクチュア)
本館のそばに建つ大倉集古館。大倉喜八郎が設立した私立の美術館で、1998年に国の登録有形文化財となった。本館の建て替えに合わせて位置を少しずらす工事を行うため、休館中。伊東忠太が設計し、1927年に竣工。設計委員会はこの中で開かれることもあった(写真:日経アーキテクチュア)

 傑作といわれることの多い谷口設計の本館ロビーにも、当然多くの注文がつけられた。当時、日本にあったホテルのほとんどが米国式のつくりをまねていたが、ホテルオークラは欧州式を取り入れるようにした。米国式だと、正面玄関から入って分かりやすい場所にフロントのカウンターが待ち受けていることが多い。そのレイアウトは便利でもあるが、大勢のお客を迎えたときに入り口が混雑してしまう。

玄関入ってすぐの所からエントランスロビーを撮影した写真。ランタンの下には、開業から現在まで常に、石草流による生け花を飾っている(写真:吉田 誠)
玄関入ってすぐの所からエントランスロビーを撮影した写真。ランタンの下には、開業から現在まで常に、石草流による生け花を飾っている(写真:吉田 誠)

 一方、欧州式のロビーは静かな雰囲気を重視するレイアウトが特徴だ。野田社長がロンドンの最高級ホテル、クラリッジに宿泊した際、静かなロビーに感心したことがきっかけで、欧州式を採用することになった。具体的には、フロントやエレベーターはロビーから少し入り込んだ位置につくるようにした。完成当初は玄関から入って左手にフロントがあったが、別館建設後は場所を変更し、現在は玄関から入って右手に進んだ連絡通路の前にある。

現在のフロント。別館につながる連絡通路の前にある。完成当初は柴田が設計したコーヒーショップ「カメリア・コーナー」があった部分(写真:吉田 誠)
現在のフロント。別館につながる連絡通路の前にある。完成当初は柴田が設計したコーヒーショップ「カメリア・コーナー」があった部分(写真:吉田 誠)