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設計組織「継承」の知恵の第4回は、日本建築界草創期の事務所継承に学ぶ。現在、組織設計と呼ばれる大規模設計事務所の創設者を思い浮かべてみると、第2世代の建築家が多いことに気付く。理由は何か。また、第1世代の事務所はなぜ残っていないのか。日経アーキテクチュア5月10日号特集「設計組織『継承』の試練」のなかで、建築史家で編集者でもある伏見唯氏に寄稿してもらった記事を転載する。

月日不明の場合は、その年の満年齢を記載した(年表作制:伏見 唯、イラスト:伏見 志野)
月日不明の場合は、その年の満年齢を記載した(年表作制:伏見 唯、イラスト:伏見 志野)

 日本の設計事務所の歴史は、工部大学校(現・東京大学工学部)の第1期生である辰野金吾や曾禰(そね)達蔵らの事務所開設から始まる。この2人は、それぞれ共同経営者を得て「ツーマン体制」を敷いていた。

 辰野は東京では葛西萬司、大阪では片岡安、曾禰は中條(ちゅうじょう)精一郎とともにそれぞれ事務所を設立。葛西、片岡、中條はかなり年下の大学の後輩や教え子に当たるが、部下というよりパートナーに近い存在だったようだ(※1、参考文献は文末に掲載)。そして、いずれも明治大正における日本屈指の大事務所となった。