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ツーマン体制が継承を円滑に

辰野金吾(イラスト:伏見 志野)
辰野金吾(イラスト:伏見 志野)
葛西萬司(イラスト:伏見 志野)
葛西萬司(イラスト:伏見 志野)

 なぜツーマンだったのか。多忙な辰野や曾禰に代わって、事務所を切り盛りするマネジャーが必要だったということがまず考えられる。辰野葛西のもとにいた所員は、「父親(辰野)にガーンと叱られておふくろ(葛西)に後からなだめて戴くのと同じで有つた」(※2)と述懐しており、それぞれの役割がうかがわれる。

 1919年、辰野が逝去する。ツーマンの片翼である葛西は56歳であり、辰野亡き後も、単独で事務所を経営し続けることができた。葛西は76歳まで事務所に通ったようで、葛西の生前、辰野時代からの組織は継承されていた(※1)。年の離れたツーマン体制では、少なくとも一代の組織の継承はスムーズであった。

曾禰達蔵(イラスト:伏見 志野)
曾禰達蔵(イラスト:伏見 志野)
中條精一郎(イラスト:伏見 志野)
中條精一郎(イラスト:伏見 志野)

 ところが、曾禰中條の場合は事情が違った。曾禰よりも若い中條のほうが先に世を去る。そしてすぐ1年後に曾禰も他界。曾禰中條は、2人のトップをほぼ同時に失うことになった。しばらくして事務所は解散(※1)。創設者の死はやはり大きかった。

片岡安(イラスト:伏見 志野)
片岡安(イラスト:伏見 志野)

 片岡安も、辰野が他界したときにはまだ43歳であり、辰野亡き後も仕事を続けている。関西財界で活躍するほか片岡建築事務所も営んでいたが、1926年ごろに20歳近く若い石本喜久治と出会い、状況が変わる。