PR

組織化、法人化の時代へ

石本喜久治(イラスト:伏見 志野)
石本喜久治(イラスト:伏見 志野)
久米権九郎(イラスト:伏見 志野)
久米権九郎(イラスト:伏見 志野)
山口文象(イラスト:伏見 志野)
山口文象(イラスト:伏見 志野)

 偶然乗り合わせた列車のなかで石本が人生相談をしたところ、片岡は石本を気に入ったのか、「自分はできる限り後援もするし、できれば建築事務所を共同経営してもよい」と答えたという(※3)。そして、1927年に片岡石本建築事務所が設立された。石本の世代は、こうしてツーマンの時代と重なる形でスタートした。

 1歳差の久米権九郎もまた、渡辺仁に迎え入れられ、最初は渡辺久米建築事務所というツーマン体制を敷いた。

 ただし、この世代が継承を考える頃は、戦争もあり第1世代の設計事務所がいくつも解散していた。彼らは「トップの死=組織の解散」もたくさん見てきただろう。そのためか、組織の継承を強く意識した。石本、久米、そして一時は石本のもとにいた山口文象もまた、ツーマン体制とは異なる継承の考えを持っている。組織化、法人化である。

 「建築事務所というものは、もはやその創設者たる一建築家の独創と独走のみによって支配しつづけられるのは一代限り」と石本は考え、自分が亡き後も事務所が継承されるように、生前から組織化に意欲を燃やしていたという(※3)。そして1951年、個人経営だった石本建築事務所を法人化し、所員に株式を公開した「株式会社」の設計事務所を生み出す。

 久米もまた「設計事務所は一個人のものであってはならない」と考え、トップの個性のみに重点を置くことを避けていたという(※4)。そして山口は、個人名を冠せずに若い建築家たちと協働する「RIA建築綜合研究所」を1953年に開設した(※5)。最初から組織であり、継承の路線が敷かれていた。経済成長の後押しもあり、この世代の事務所が、今では所員数百人規模の組織設計事務所になったことは周知のとおりである。

 ツーマン、組織化、どちらの時代にも共通していえることは、キャリアのあるトップが若い世代と協働する仕組みを考えていたということだ。辰野が20歳ほど年下の片岡に「両名の組合建築士の組織」とすることを発案したという(※6)。だからこそ、歳を重ねた片岡もまた、辰野への思いを重ねながら、若き石本を支えたに違いない。

参考文献

※1 森まゆみ著「連載 黎明期の建築家たち1~18」住宅建築2001年10月号~2003年11月号、建築資料研究社
※2 「特報 故名誉正員工学博士葛西萬司君略歴及作品」日本建築士1942年8月号、日本建築士会
※3 「石本建築事務所創立70年の歩み」石本建築事務所、1997
※4 平倉章二著「近代日本、建築家の足跡 久米権九郎」建築文化1990年6月号、彰国社
※5 「まちをつくるプロセス RIAの手法」新建築2013年12月号別冊、新建築社
※6 片岡安著「大阪辰野片岡事務所の事業概要」建築雑誌第348号、1915