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重機で笑顔をつくり出す

 「杭打ち工事は重機の騒音や震動が付き物で、近隣の住民からは嫌がられることが多い。しかし重機だって、人の暮らしを良くするために生まれたもの。社内の腕比べから始まったが、今は重機で人々を笑顔にしたい。『これでお好み焼きをつくったのかい』なんて言ってもらえたら嬉しい」(前田氏)。

「父の時代はとにかく厳しかった」と語る前田氏(右)。左は、父親で先代社長の前田一夫・現会長(写真:船戸 俊一)
「父の時代はとにかく厳しかった」と語る前田氏(右)。左は、父親で先代社長の前田一夫・現会長(写真:船戸 俊一)

 前田氏が、父が経営していた自社で初めて現場に足を踏み入れたのは、18歳の頃だった。社内のベテランたちは皆、荒っぽくてとにかく怖い存在。目が合っただけでにらまれ、分からないことを聞こうものなら罵声が飛んできた。「笑顔」とはほど遠い日常で、現場には常にピリピリとした緊張感が漂っていた。

 20歳になってクレーンの免許を取得すると、「社長の息子が下手ではまずい」と休み時間を使って操作の腕を磨いた。資材を地面に降ろす際に、揺らさずピタッと止められるまで、練習を重ねた。

 社長職に就任するまでの10年ほどは、もっぱら杭打ち機のオペレーターとして従事。ここでも「穴を崩さずにいかに速く掘るか」に、人一倍の情熱を傾けた。「杭打ち機の操作は自分が日本一うまい、と自負していた」と前田氏は笑う。