「無職の世界へようこそ」のメッセージに大ショック

 思保美さんは小学生のころ、父の仕事の都合で渡米し、ミシガン州デトロイトに住んだ経験がある。当時、小学校1年生だったが、初めて通った現地の小学校で2年生のクラスに入れられると、先生や友達が容赦なく話しかける英語が理解できずに苦しんだ。その結果、もう一度、小2のクラスをやることになったが、そのころからは英語も分かるようになり、楽しく過ごせるようになった。

 その後、2年弱で日本に帰国した。しかし、幼少のころに体で覚えた英語をもう一度、鍛えて自分の武器にしたいという思いはその後も消えなかった。そして、大学受験の時期を迎えると、もとからあった「英語を究めたい」という思いと、「国際的に活躍できる声優になりたい」というほのかな期待を持って、同大学で演劇を専攻するために入学したのだ。サンフランシスコでの留学生活は、楽しかったが、その道は決して平たんではなかった。

留学生活を送るサンフランシスコの町で(写真:家入龍太)
留学生活を送るサンフランシスコの町で(写真:家入龍太)

 最初に待ち受けていたのは、米国の小学校に通ったときと同じく言葉の問題だった。「演劇の先生が話すことは、感性に満ちた抽象的な言葉や表現が多く、なかなか理解できなかった」と思保美さんは振り返る。

 そしてほのかな夢を打ち砕く決定的なものと出会うことになる。それはけいこ場に張ってあった「無職の世界へようこそ」というメッセージだった。つまり、演劇で成功できるのはごく一部に過ぎず、無職を覚悟で挑まなければやっていけないという厳しさを意味していた。

 留学2年目を迎え、卒業後の進路について専攻を決める時期にきていた思保美さんは、「無職」という言葉から大きなショックを受けた。演技がものすごく上手な学生でもいい仕事はあまりない。先輩からも苦労を聞かされた。このまま演劇を続けてもいいのだろうか。高い学費を払ってくれる親のことや、様々な不安や疑問などが脳裏をよぎった。そのとき、ふと浮かんだのは、祖父が経営する建築設計事務所でCADオペレーターとして働く母、小林美砂子さんの後ろ姿だったのだ。

 思保美さんの母、美砂子さんはもともとは専業主婦だった。しかし10年ほど前、大阪府豊中市で設計事務所を営む思保美さんの祖父がCADソフトを導入した際に、CADオペレーターとして手伝ってほしいと頼まれたのをきっかけにCADの世界に入った。現在では「Revit」や「3ds Max」など、様々なBIMソフトのインストラクターとして、第一線で活躍する設計実務者を指導する立場になっている。

BIMソフトの講習会でインストラクターを務める母の美砂子さん(写真:小林美砂子)
講習会で使っているテキスト(写真:小林美砂子)

BIMソフトの講習会でインストラクターを務める母の美砂子さん(左)。講習会で使っているテキスト(右)(写真:小林美砂子)