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 人に話を聞く仕事をしていると、ときに背筋がぞくぞくとすることがある。話の内容に深く納得し、重みを感じたときだ。そんなときは「早く読者に伝えたい」と心がはやる。15年ほど前、大成建設の松木田正義さんにお会いしたときも、そうだった。

 当時、松木田さんは東京湾横断道路(現、東京湾アクアライン)川崎人工島東工事の所長を務めていた。東京湾横断道路は、川崎と木更津の間約15kmをトンネルと橋でつなぐ「土木のアポロ計画」と呼ばれたビッグプロジェクトだ。そのなかで松木田さんは、トンネルの中間点となる人工島を海の中に築く難工事を担当していた。

 1948年生まれで、鹿児島県立薩南工業高校土木科を卒業後、66年に大成建設に入社。以来、数々の大型海洋工事に従事し、次々と新しい工法を生み出した。特許や実用新案に結びついたものが15件もあるという。アイデアマンとして、その名を知られていた。そして計画を練るときには、作業に携わる人たちの英知を結集する。プロデューサーとしての環境づくりの手腕も輝いて見えた。

 難工事を克服するために繰り出される技術の話が面白かったから、何度も現場に足を運んだ。忙しい所長にしてみれば、「コイツまた来たか」という思いだったろう。だが、嫌な顔を見せず時間を取ってくれた。私は工事の進捗や、そこで用いられた創意工夫を「日経コンストラクション」の記事にしていたが、あるときアイデアの根源となる哲学のようなものが知りたくなり、質問した。

 すると、松木田さんはいつものニコニコ顔を少し引き締め、両手のひらを胸の前にかざし、15cmほどの幅をつくって語り始めた。「不思議なもので、たいていの人は許容範囲の真ん中付近でしか考えていないものだよ」と。

 今度は、その手を大きく左右に広げた。

 「考えるときには許容範囲から外れてもいい。右端と左端があるなら、両端のいっぱいまで考えてみるべきだ。ものをつくるなら、一番大きくしたらどこまでできるのか、逆に小さくしたらどこまでできるのかの両方を考える。どこまで押せるのか引けるのか、あるいは硬くできるのか柔らかくできるのか。そのなかで、安全、工程、コスト、品質の条件に見合う最大の効果を引き出すことを心がけている」。

 背筋がぞくぞくした。難工事を解決に導くプロの心の中には、やはり哲学があった。確固たる行動指針。アイデアは偶然の産物ではなく、意志によって生み出されたものだった。帰りの電車の中で、松木田さんの言葉を何度もかみしめた。

 松木田さんは技術者、私は記者と、そのフィールドは異なるのだが、教えは私のその後の仕事の進め方にも影響を与えた。取材対象は土木から建築、不動産へと変わり、情報伝達手段も雑誌からインターネットになり、年を重ねるにつれて判断を求められる機会が増えてきた。右へ行くべきか左へ行くべきか、進むべきかとどまるべきか、小さく動くべきか大きく動くべきか――。迷いの場面ではいつも、「たいていの人は許容範囲の真ん中付近でしか考えていない」という言葉が聞こえてくる。

 身の回りを観察してみると、重要なことでも「許容範囲の真ん中付近」で判断されているものが目についた。言い換えると、「あまり考えずに結論を出しているケース」だ。世の中に目を広げても、中途半端な判断が氾濫している。「前から、こういうやり方です」「○○さんがそう決めたから」という説明のなんと多いことか。

 松木田さんは「元の設計で決まっていたから」という説明を許さない人だった。相手が発注者であってもその姿勢は変わらない。どうして元の設計がそうなっているかを、納得できるまで考え抜く。そして不合理・非効率なことがあれば改善を提案する。見方を変えれば頑固な一面をもつ人間だが、準備段階の検討に手を抜かなかったから、本番がうまくいくのだと悟った。

 以来、自分が判断にかかわる場面でも「右端と左端」を意識するようになった。だからといって凡人の私がすばらしい成果を出せるようになったわけではない。ただ、失敗は少なくなったような気がする。考え抜いて調べ尽くしたうえでの行動であれば、結果が伴わなくても後悔が少ないことも学んだ。

 松木田さんの話を聞いてから、実践していることがほかにもある。寝室の枕元にメモ帳とペンを置くことだ。思いついたアイデアを忘れないうちに書き留めるための用意である。松木田さんは「朝、起きたときに良いアイデアが浮かぶことが多い」と話していた。寝ている間も問題解決の道を探っていたのだ。

 東京湾横断道路が完成してからまる10年。その建設を振り返るテレビ番組で、松木田さんが病に倒れ、亡くなったことを知った。残念でならない。

 桜が散り、研修を終えた新入社員が職場に配属される季節を迎えて、今は亡き偉大な技術者、松木田正義さんの教えを、若い人たちに伝えていこうと思っている。