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成田空港へのアクセス鉄道整備は苦難の連続

 リニア構想が出てきたのは、成田空港が遠いからだ。既存の鉄道でアクセスするには限界があるのか、これまでどんな施策がとられてきたのか。歴史を簡単に振り返ってみる。

 成田空港が開業したのは1978年だ。70年台は公害が深刻になるなど高度経済成長のひずみが社会問題化した時代だった。空港や高速鉄道などに対する風当たりは強く、整備計画はすんなりとは進行しなかった。

 都心からの高速アクセス手段として、東京-成田空港を30分で結ぶ成田新幹線が計画された。1974年に着工し、東京駅と成田空港付近で工事が始まったものの、江戸川区など通過地域で激しい建設反対運動が起こった。用地買収が進まなかったことから、結局、建設は中止に追い込まれた。

 京成電鉄は1972年に初代スカイライナー号を完成させたものの、空港の開業が遅れたことから、せっかくの新車を本来の目的で使えない状態が何年も続いた。1978年には、過激派が酒々井(しすい)町の車両基地でスカイライナー号に放火して全焼させる事件が起きている。

 成田開港に合わせ、京成電鉄は京成成田-成田空港(現在の東成田駅)を開業し、スカイライナー号の運行を始めた。しかし、当時の成田空港駅は旅客ターミナルと直結しておらず、利用者はさらにバスに乗るなどする必要があった。当時の運輸省は、成田新幹線を主に旅行者用、京成線を主に空港勤務者用としてすみ分けを図ろうとしていたともいわれる。

 開港から10年ほどたって状況が一変する。成田新幹線用に建設され放置されていた路盤を活用して、JR線と京成線がともに現・成田空港駅まで乗り入れる構想が持ち上がった。当時の運輸大臣・石原慎太郎氏の指示で計画は急ピッチで進み、両線は1991年に乗り入れを果たした。

 路盤は上下それぞれ1線分しかなかったので、JR・京成の両線それぞれを単線で乗り入れることにした。この政策によって両者に競争の原理が働くこととなった。