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 かつてのソフトウエアプログラムは、おそらくは気の遠くなるようなバグフィックス(=誤りや不具合の修正)を事前に重ねた上で、(物質として)パッケージング~出荷され、私たちの元に届いた。そのような“固定化”の作業は、いまはなくすことができる。

 基盤となるOS(Windows××)にさえ、自動更新により日々、修正パッチが送り込まれてくる。その上のアプリケーション群も、特にASP(Application Service Provider)やSaaS(Software as a Service)がそうだが、動態的なものとし得る時代に至った。

 そうした特質を持つことから、ウェブアプリケーションなどを「永遠にベータ版(未完成の試用版)」のものと表現する場合がある。引き渡してからの運用段階こそが重要だと考えるなら、同様に「建築に完成(≠竣工)はない」という考え方も成り立つはずで、そうした趣旨の発言がアーキテクチャ論との関係で出てくる場面もある。しかし、物質ではないもの(情報)と建築とを一緒にはできない、といった見解も当然ある。

 ウェブのアーキテクチャをこうした生々流転する自生的なものとして分析したのが、冒頭に引用した社会学者(情報社会論・メディア論)の濱野智史氏だ。「アーキテクチャの生態系──情報環境はいかに設計されてきたか」(NTT出版)が、好テキストになっている。

 濱野氏の分析対象は、2000年代に台頭したグーグルや2ちゃんねる、ミクシィ、ニコニコ動画といったネットコミュニティやCGM(消費者生成メディア)で、社会的なソフトウエアという意味から、これらを「ソーシャルウェア」と呼ぶ。アーキテクチャといま呼ばれるものが、社会秩序を生み出す手法や社会設計の方法を広げる可能性を持つという考え方から、同氏は「間違いなく二一世紀の社会にとって、重要な概念になる」と位置付けている。

建築・都市を変えるための手がかりに

 新たなアーキテクチャの概念は、まず「建築計画」の領域と関係するだろう。

 例えば、住民「主体」のまちづくりを進めるために、事前に「体験型まちづくりゲーム」(住民自身によるシミュレーション)を行う手法がある。計画の要素が複雑になり、関係者が多くなるほど、実際の運用時に予測不可能な事態が起こる確率は高くなる。事前にこうした手続きを踏んで検証した方が、合意形成の材料を得やすい、という考え方だ。

 既存のビルディングタイプを超える建築を計画したい場合、(仮想でもよいので)同種の試みが欲しい。そのとき、シミュレーションの精度を上げるためには、社会なり企業なり、また都市なりを「アーキテクチャ」として扱う視点が要るのではないか。主体的な意思から離れて、その社会が自生的に動き出したときに生まれてくる計画条件を、導き出したいからだ。

 また、その計画条件の確からしさを高めるためには、シミュレーションの回数を増やした方がよい。これまでであれば、「非効率」な作業として捨てざるをえなかった手続きだが、これを、コンピューター(と人間)の演算力に頼ることで極力迅速に行う、ということになる〈温熱環境などについては既に行われているものでもある)。

 そうした観点から計画条件を洗い出していくプロセスを、ごく簡略化したものが以下になる。

(精密に考え過ぎると、サイエンスフィクションになってしまう。英国のデザイン界やオランダの建築界から伝わってくる「リサーチ」の手法なども参考に、建築計画のあり方などを再考していくための思考実験でもある、といったふうに受け取っていただきたい)

● 建築を「社会」に対応したものとして計画するとき、その社会が複雑で把握しにくくなっていることは確かだ。しかし、諦めずにそれを、様々な“アーキテクチャ”のモジュールが合わさった構造物(これもアーキテクチャ)としてモデル化して理解してみる。

● このとき、個々の“アーキテクチャ”を、誰か主体がいてコントロールしている被造物ではなく、おのおのが自然物や生命現象のように振る舞い、全体として関係し合って生態系(エコシステム)を構成するものとして扱うことにする──そうウェブのように(なお、発注者からの与条件については、“ビジネスアーキテクチャ”として読み取ることにする)。

※非線形や複雑系の科学が、複雑に見えていた自然物や生命現象を、単純なアルゴリズム(手続き)の反復によって説明できることを示した。さらに、人間や社会・経済の活動が類似した自己生成的な秩序を持つことを見いだしている。また、情報理論やネットワーク理論によって、人間や社会・経済の活動と情報環境の挙動との間に似た性質があることも分かっている。こうした科学や工学の領域の知見を、アーキテクチャの分析に適用できるはずだ。

● 暫定的にせよ「かたち」にすることが建築なので、自生的なものとして分析できた“アーキテクチャ”の中から、人間や社会・経済の活動を豊かにすると思われるデータを探索・抽出し、編集・加工して建築のプログラムと意匠(形態など)に反映させる。

※データを探索・抽出し、編集・加工するところに、設計者の手腕が問われる。これは組織力を持たない個人の力では手に余るものと言えるため、計画に必要となる社会的なデータのモニタリングと、そのデータベース化をある程度の共通インフラとできることが前提かもしれない(そこに、建築計画の研究室などが役割を果たす可能性があるのではないか)。

 以上は、独自の見解ではなく、いま議論されつつあることを参考にまとめた。

 例えば、「批判的工学主義」と名付ける考え方と、目下の集大成『グーグル的建築家像をめざして』を発表した建築家、藤村龍至氏(ら)の活動。90年代からアルゴリズミックデザインの手法を探求している多くの人たち(渡辺誠氏、松川昌平氏、柄沢祐輔氏、田中浩也氏…)の活動。ケンプラッツ連載 「ドコノモン100選」の倉方俊輔氏が担当した建築雑誌(日本建築学会)09年5月号の特集「非線形・複雑系の科学とこれからの建築・都市」など。(参考04~07)

 ご興味のある方は、末尾に示した参考書物などをひもといてみてほしい。※2

アーキテクチャを面白く使いこなす

 建築の計画以外にも、アーキテクチャを応用できる場面は様々にあるはずだ。

 いま建築の世界にとって、法(建築士法/国)も、規範(職能団体)も、市場(設計報酬)も改正や関連の議論は落ち着いたものの、それらが職能を分裂させる力として働いたままであることは改善していない。「職能を分裂させる」とは要するに、建築士と建築家が(集団として)けん制し合う事態は変わらず、組織と個人、専業と兼業(施工会社の設計部門)の間にあるだろう職業意識や仕事の違いなども外側からは見えにくい、といった現状を指す。

 職能が分裂していて悪いのかどうかについては、適正な競争のために何を共通プラットフォームとし、またしないのかの議論が要るだろうし、簡単には結論を出せない(歴史的にも出ていない)が、これはまさに“業界アーキテクチャ”の問題と言ってよい。

 何かが崩壊することや外圧によっていまの事態が変わることを待望するばかりではなく、情報技術を駆使し、残された4つめの“力”──「アーキテクチャ」(なじみのある概念!)を活用することによる問題解決の可能性を考えてみるのも、面白いのではないか。


※1 アーキテクチャを語る際に、引き合いに出されることの多い一つが、建築家の磯崎新氏による「プロセス・プランニング」論だ。同氏が1967年に発表したもので、図書館の建築計画をテーマとする(鹿島出版会『空間へ 根源へと遡行する思考』所収)。同論は、当初から完成された終末が予想されている「クローズド・プランニング」、時間的に変質していく内容を均質化という技術(均質化された無限定空間)によって処理しようとする「モデュラー・プランニング(オープン・プランニング)」、そして“時間的な推移の各断面が、つねにその次段階に移行するプロセスである”との性格を持つ「プロセス・プランニング」──の3類型を示している。既にこの時代に時間的要因が論点になっていたわけで、藤本隆宏氏による図式との比較としても面白い。これは磯崎氏が登壇した今年1月のイベント「アーキテクチャと思考の場所」でも、同席した濱野智史氏が題材として取り上げた。2004年にはコンピュータソフトウエアの開発会社を率いる山田正樹氏が、ウェブ上の連載「『実行可能な知識とソフトウェア』(8) 建築家の視点、アーキテクトとしての共通認識」で取り上げている。

※2 6月28日には“濱野智史×藤村龍至トークイベント「設計/デザインを考える」”が行われるなど、議論は継続している。こうしたイベントの聴講者によるブログでの報告なども参照してほしい。


【参 考】
01『CODE VERSION 2.0』(ローレンス・レッシグ 著、山形浩生 訳/翔泳社/2007)

02『思想地図〈vol.3〉特集・アーキテクチャ』(東浩紀 編、北田暁大 編/日本放送出版協会/2009)共同討議「アーキテクチャと思考の場所」

03『計算不可能性を設計する──ITアーキテクトの未来への挑戦』(神成淳司 著、宮台真司 著/ウェイツ/2007)

04『思想地図〈vol.3〉特集・アーキテクチャ』「グーグル的建築家像をめざして──「批判的工学主義」の可能性」

05『10+1 No.48 特集=アルゴリズム的思考と建築』(INAX出版/2007)

06『アルゴリズミック・デザイン──建築・都市の新しい設計手法』(日本建築学会 編/鹿島出版会/2009)

07『建築雑誌 2009年5月号 特集 非線形・複雑系の科学とこれからの建築・都市』(日本建築学会/2009)