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東日本大震災を受け、被災地により良い仮設住宅を届けようと、数多くの建築関係者が提案を行った。しかし実現への道のりは極めて厳しく、嘆く声は少なくない。そんななか、岩手県の遠野市と釜石市に実現した「コミュニティケア型仮設住宅」の原動力となったのが、東京大学大学院准教授で建築計画学者の大月敏雄氏だ。

東京大学大学院工学系研究科建築学専攻准教授の大月敏雄氏。同大学高齢社会総合研究機構(IOG)の運営委員も務める(写真:柳生 貴也)
東京大学大学院工学系研究科建築学専攻准教授の大月敏雄氏。同大学高齢社会総合研究機構(IOG)の運営委員も務める(写真:柳生 貴也)
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 「今回のような非常時はもちろん、建築をつくるときに『あの方式を採用すれば、うまくいくのではないか』と提案するのが、我々、建築計画学者の務めだと考えている」。こう語るのは東京大学大学院工学系研究科建築学専攻准教授の大月敏雄氏。

 コミュニティケア型仮設住宅とは、阪神・淡路大震災の際に、仮設住宅で単身高齢者の孤独死が相次いだ悲劇を教訓として、東京大学高齢社会総合研究機構(IOG)が提案したもの。同大学大学院建築学専攻で建築計画研究室を受け持つ大月氏はIOGの運営委員も務めている。

 仮設住戸を従来のように画一的な北入り南面平行配置にするのではなく、例えば、南北に通した「縁側デッキ」を挟んで向かい合わせに配置する――。各住戸へは共有デッキ側からアクセスするため、自然な見守り、コミュニティ形成を促し、デッキによって住戸内外の段差も解消される。

 このような「ケアゾーン」を、子育て世帯などの「一般ゾーン」と組み合わせて設置することや、総合相談や生活支援等を行うサポートセンターを併設すること、また近隣に仮設店舗を誘致することも重要なポイントとして挙げている。

岩手県釜石市の平田総合公園内に完成したコミュニティケア型仮設住宅の屋根で覆われたケアゾーン。IOGと岩手県立大学が配置計画を担当した(写真:東京大学高齢社会総合研究機構)
岩手県釜石市の平田総合公園内に完成したコミュニティケア型仮設住宅の屋根で覆われたケアゾーン。IOGと岩手県立大学が配置計画を担当した(写真:東京大学高齢社会総合研究機構)
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同仮設住宅。地元で被災した21店舗・事業所による仮設店舗、仮設スーパーのほか、24時間の見守り体制を備えたサポートセンターなどを備える(写真:東京大学高齢社会総合研究機構)
同仮設住宅。地元で被災した21店舗・事業所による仮設店舗、仮設スーパーのほか、24時間の見守り体制を備えたサポートセンターなどを備える(写真:東京大学高齢社会総合研究機構)
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仮設住宅の提案を持って自治体へ“営業”

 IOGは、医学や工学、法学、経済学、社会学など、学問領域を超えて結集し、超高齢社会の課題解決に取り組む組織。以前からメンバーだった大月氏は、2011年3月の東日本大震災発生時、スラム街改善プロジェクトでケニアに滞在していた。帰国後すぐに招集され、「今回の被災地は高齢者の多い地域。IOGのこれまでの研究成果や経験を生かす時がきた」と、すぐに仮設住宅の提案作成に取り掛かった。

 余震が続くなか、学生たちと徹夜で議論を重ね、4月中に提案内容を練り上げた。IOGのトップである機構長の鎌田実教授が自ら運転する車で5月1日に被災地入りし、3日間、岩手県や県内の自治体を行脚する。その頃には、すでに幾つかの仮設住宅が完成していたが、多くの自治体が仮設住宅の建設を急務として動いていた時期だ。

 大月氏は、東西軸の住棟配置を南北軸とし、住棟間に屋根付きのデッキを置くことを中心に、通常の仮設住宅のプランを少しだけ変更・追加することで、高齢者の住環境が大幅に改善されることを説明した。ところが返ってきた言葉は「実現は難しい」。初日から意気消沈したという。

釜石市ではプレゼンの場で採用が決定

 大月氏を救ったのが、多方面にわたる人物とのネットワークだ。例えば、岩手県立大学の狩野徹教授。県の主要人物、建築と福祉に通じた狩野氏からアドバイスを受けた上で、IOGと同大学の協働という形で提案することにした。補助金の利用を盛り込むことができたのも、都市計画などの専門家がIOGのメンバーとして参加していたからだ。

 翌日に訪れた釜石市では、南北軸のコモンアクセスとすれば全住戸にとってほぼ平等な環境となること、サポートセンターや仮設店舗は補助金で設置できることを強調し、自治体の目線になってプレゼンした。すると、その場で市長がコミュニティケア型仮設住宅の建設を決意。最終日に訪れた遠野市でも、ほどなくして建設が決まった。いずれの仮設住宅も2011年夏に完成、入居がスタートした。

岩手県遠野市の穀町仮設住宅。希望の郷「絆」と名付けられた。サポートセンターを10戸の子育てゾーンと9戸のケアゾーンとで挟んで構成する。IOGと岩手県立大学、リンデンバウム遠野が実施設計まで手掛けた(写真:東京大学高齢社会総合研究機構)
岩手県遠野市の穀町仮設住宅。希望の郷「絆」と名付けられた。サポートセンターを10戸の子育てゾーンと9戸のケアゾーンとで挟んで構成する。IOGと岩手県立大学、リンデンバウム遠野が実施設計まで手掛けた(写真:東京大学高齢社会総合研究機構)
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同仮設住宅でサポートセンターを挟んでケアゾーンにつながる子育てゾーン。この仮設住宅では地場産材を利用し、サービス付き高齢者住宅への転用も考えている(写真:東京大学高齢社会総合研究機構)
同仮設住宅でサポートセンターを挟んでケアゾーンにつながる子育てゾーン。この仮設住宅では地場産材を利用し、サービス付き高齢者住宅への転用も考えている(写真:東京大学高齢社会総合研究機構)
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 仮設住宅の設置期間は原則2年間とされているが、阪神大震災では順次、延長された。震災発生後すぐに、「今回も被災者が仮設住宅で暮らす期間は長くなるだろうと直感した」と大月氏は振り返る。

 1995年の阪神大震災のとき、大月氏は東京大学の博士課程に在籍し、集合住宅の研究を行っていた。建築を学ぶ者として復興に役立てることが何かないかと、現地の知り合いを頼って、被災地に乗り込んだ。しかし、分かったのは、「社会に出たこともない学生、しかも個人でできるのは、支援の支援程度」(大月氏)ということ。大量の箱をただ並べただけの仮設住宅の光景は、そのとき、自分が感じた無力感とともに、「泣けてくる風景」として、今も心に刻みこまれているという。