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 阪神大震災が発生した時、筆者は日経アーキテクチュアの記者をしていた。神戸市庁舎など、途中階がつぶれた建物を見て、「設計や施工のやり方を変えなければ」と驚がくした。実際、建築界の反応は素早く、日本建築学会などを中心として、様々な設計指針が数年のうちに見直されていった。

 一方で時間がたつにしたがって、つくり手の先にいる一般の人々の反応が鈍いなと感じることが増えていった。例えば、松・竹・梅といった感じで複数の耐震ランクを示して、発注者と議論をしながら耐震レベルを決めていく設計手法。日経アーキテクチュアの1998年1月12日号特集「忘れるな、6425人の遺訓」で取り上げている。ところが、数年であまり話題にならなくなった。構造設計者からは、「以前のように建築基準法ぎりぎりを目指すような設計に戻ってしまった」と聞かされがっかりした。

日経アーキテクチュアの1998年1月12日号特集「忘れるな、6425人の遺訓」。「『松・竹・梅』で施主に強さを選ばせる」という記事で耐震メニューを取り上げた(資料:日経アーキテクチュア)
日経アーキテクチュアの1998年1月12日号特集「忘れるな、6425人の遺訓」。「『松・竹・梅』で施主に強さを選ばせる」という記事で耐震メニューを取り上げた(資料:日経アーキテクチュア)

 また、既存不適格の問題でも同様の思いを抱いた。2005年に日経アーキテクチュアで「阪神大震災10年目の再出発」を担当した。その際、「既存不適格」をテーマとして取り上げ、「阪神大震災で問題視されたにもかかわらず、既存不適格住宅の耐震化は進んでいない」と問題提起している。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」のことわざ通り、震災の教訓が風化していく世の中の風潮に、無力感や焦燥感を胸に抱きながら取材した。

日経アーキテクチュアの2005年1月24日号特集「阪神大震災10年目の再出発」では「既存不適格」に注目。「耐震化が進んでいない」と問題提起した(資料:日経アーキテクチュア)
日経アーキテクチュアの2005年1月24日号特集「阪神大震災10年目の再出発」では「既存不適格」に注目。「耐震化が進んでいない」と問題提起した(資料:日経アーキテクチュア)

 しかし、それから10年がたった今、改めて現在の建築界を眺めてみると、あの頃感じていたのとは裏腹に変化したのではと思えるようになった。

 耐震性能については、オフィスビルや生産施設ではBCP(事業継続計画)の考え方が浸透して、震災後も機能を維持することが当たり前のように議論されている。戸建て住宅も、制振技術の普及によって震災後や余震にも耐えることが議論されるようになった。

 当時、対策が難しいと感じていた既存不適格についても、耐震化率は少しずつだが着実に高まっている。学校や自治体の庁舎は、災害時に人が集まる拠点になることもあり、社会的に既存不適格が許されない状況が生まれている。さらに、交通機関の駅舎や大型の商業施設など、不特定多数が利用する施設では着々と耐震化が進んでいる。当時、対策が最も難しいと感じていた住宅についても、国交省が掲げている目標では、今年、耐震化率9割を目標としている。この数字が実現できることを願いたい。

住宅の耐震化の進捗状況。耐震化率は、2003年(平成15年)が約75%、2008年(平成20年)が約79%だった。これを2015年(平成27年)には9割に高める目標を掲げている(資料:国土交通省)
住宅の耐震化の進捗状況。耐震化率は、2003年(平成15年)が約75%、2008年(平成20年)が約79%だった。これを2015年(平成27年)には9割に高める目標を掲げている(資料:国土交通省)

 社会が震災の意識を高めた背景には、阪神大震災以降に大きな地震がたびたび発生したからだ。鳥取県西部地震(2000年)、芸予地震(2001年)、十勝沖地震(2003年)、新潟県中越地震(2004年)、福岡県西方沖地震(2005年)、能登半島地震(2007年)、新潟県中越沖地震(2007年)、岩手・宮城内陸地震(2008年)、東日本大震災(2011年)、長野北部地震(2014年)――。日本が繰り返し地震被害を受けてきた結果、防災の意識が高まり、地震対策が進んだのである。

 現政権は、国土強靭化を掲げ、防災対策に取り組もうとしている。さらに、2015年度は住生活基本計画を見直す年でもある。2010年度にまとまった基本計画では、2020年までに住宅の耐震化率を95%にする目標を掲げていた。今回の見直しでは、実現に向けてさらに踏み込んだ提案を期待したい。そして、カメの歩みのようにゆっくりと進んできた地震対策が、これからも着実に社会に広がっていくよう、我々報道に携わる者も地震対策の歩みに注目していきたい。