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現場を支える個性的な技術者たち

 取材に当たって清水建設の広報担当者からは「我々も工事の記録を記事として残しておいてもらいたい」といったことを言われたように記憶している。当時は「そういう風に考えるものなのかな」と思った程度だったが、今になってみれば、この言葉が、その後も原発事故の復旧工事を追い続けるきっかけだったのかもしれない。

 清水建設の取材では、個性的な建築技術者に出会った。建屋カバー計画の立案を担った同社生産技術本部の印藤正裕本部長(肩書きは当時)だ。手製の精巧な模型や、アイデアを記した手描きのノートなどを示しながら、計画立案から工事完了までを臨場感たっぷりに解説してくれた。

1号機原子炉建屋のカバーリング工事で計画を立案した清水建設生産技術本部の印藤正裕本部長(肩書きは当時)(写真:日経アーキテクチュア)
1号機原子炉建屋のカバーリング工事で計画を立案した清水建設生産技術本部の印藤正裕本部長(肩書きは当時)(写真:日経アーキテクチュア)

 12年からは日経コンストラクションの記者として、無人化施工による3号機原子炉建屋のがれき撤去、撤去したがれきの運搬、凍土遮水壁の構築などを取材してきた。

 このうち、鹿島が手掛ける3号機原子炉建屋のがれき撤去は、作業現場から500m離れた遠隔操作室で重機10台を同時に操る無人化施工技術に特徴がある。システムの立ち上げや、遠隔操作する重機のアタッチメントを考案したのが、東電福島3号機原子炉建屋カバーリング工事の領木紀夫副所長だ(肩書きは当時)。領木氏も、清水建設の印藤氏と同じように手書きのスケッチや開発段階の機器の写真を披露してくれた。技術者のアイデアが形となる様子を垣間見たことは、立ち入ることができない現場の記事を書くうえで助けられた。

3号機原子炉建屋のがれき撤去を担う鹿島の領木紀夫副所長(肩書きは当時)(写真:日経コンストラクション)
3号機原子炉建屋のがれき撤去を担う鹿島の領木紀夫副所長(肩書きは当時)(写真:日経コンストラクション)

 「我々に聞かれても困る」、「現段階ではちょっと難しい」、「原発関連の取材は全てお断りしている」。建設会社に取材を申し込むと、このような回答が返ってきて脱力感に襲われることもしばしばだが、それでも少しずつ取材を続けてこられたのは、このように魅力的な技術者たちに出会えたことが大きい。

 このほど担当した日経コンストラクション3月9日号特集「8人の復興奮闘記」でも、原発事故について記事にしている。鹿島の東電福島土木統合事務所で所長を務める日比康生氏の人物ルポだ。

 日比所長は東日本大震災の直前に福島第一原発に赴任し、事故に遭遇してから今もなお、現場でがれきの運搬などの指揮を取っている土木技術者だ。話を聞くだけでも、その大変さが身にしみて感じられるような内容を、飄々と語る様子が印象的だった。彼の4年間を、わずか3000字弱の記事で表現し切れたとは思わないが、是非ともお読み頂きたい。

鹿島の東電福島土木統合事務所で所長を務める日比康生氏(写真:日経コンストラクション)
鹿島の東電福島土木統合事務所で所長を務める日比康生氏(写真:日経コンストラクション)