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丹念な空き家仲介がじわじわ広がる

 倉石氏は、観光リゾート業、不動産業などを経てから04年に長野に戻り、実家の工務店に勤務した。そうした経験を生かして、地元の市場環境に総合的な事業によって適応させていくことを指向。09年にマイルームを創業した。前出・宮本氏などと連携して物件探しから、設計・施工、運営管理までサポートする体制を取っている。

 面白い空き家の物件を見付けたあとに、使いたい人を見付けるところは課題だった。「最初の1年は、成約が2件しかなかった」と倉石氏は振り返る。それが、ナノグラフィカが始めた「長野・門前暮らしのすすめ」プロジェクト(2009・10年度は県のふるさと雇用再生特別基金事業)の一環である相談所や見学会の活動と結び付き、「じわじわと増えていった」(同氏)。

 2000年代には同時多発的に進んだものだが、近年の進展は倉石氏の力に負うところが大きい、と広瀬氏は言う。「賃貸の空き家を仲介して、それを店子の側が改修する。オーナーからすれば、元の状態で貸りてくれる人が見付かるよさがあり、そうした理解も倉石さんのおかげで広がってきた。しかし、間に入る立場としては非常に手間がかかる。工務店を兼業しているから、それ以上に好きだから可能になっている仕事だと思う」(同氏)。

 マイルームの売り上げは現在の段階では建築工事が多くを占め、不動産そして設計業務はそれほどの割合にはなっていない。一方、これまでに倉石氏が関わったと言える物件は70前後に上る。「物件も入居希望者もまだ十分に存在するので、マンパワーやマネタイズの仕組みづくりなどの面で対応しきれないのが課題だと考えている。また、今後も地元にできたつながりを生かしたいので、エリアの魅力が売りになるように進めていきたい」(同氏)。

カネマツ(KANEMATSU)(写真:日経アーキテクチュア)
カネマツ(KANEMATSU)(写真:日経アーキテクチュア)
SHINKOJI share space(東町ベース)(写真:日経アーキテクチュア)
SHINKOJI share space(東町ベース)(写真:日経アーキテクチュア)

まちの次なるフェーズを考える段階に

 前出・カネマツの事業は、助成金をもらわずに始めている。「助成がなければ真似できない、というモデルにはしたくなかった」と広瀬氏は語る。それもあってLLPを設立してからの活動には、行政との接点はそれほどなかった。空き家の活用が進んでいくうち市のほうが関心を持ち、「市街地全域に広げるための相談を持ちかけられる状況になっている」(同)。

 開設6年目を迎えたカネマツでは、その運営のために集まった仲間が個々の新展開に時間を取られるようになった現在、LLPの今後の在り方を模索中だという。「場所は次の世代に引き継ぐことができると思うが、登記をやり直すなどが煩雑でLLP自体はそのままのメンバー構成になっている。それぞれ覚悟を持って継続させたいという趣旨で設立したものだが、一方で、入れ替わりのできる仕組みにもしておかないといけないと分かってきた」(広瀬氏)。

 2014年、倉石氏、宮本氏らは活動拠点を新小路の新たな場所に移し、広瀬氏も自身が改修を手掛けた中央通り沿いに建つビルをモデルに今後の展開の検討を始めている。門前町のまちづくりは、その継続のために次なるフェーズを考える段階に入っている。

 今回、エリア・イノベーション・アライアンス代表理事の木下斉氏に、このまちの取り組みに関する考察をお願いした。