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半世紀以上待たされた2つの理由

 東京都が環状第5の1号線を都市計画決定したのは、戦後間もない1946年3月のことだ。東京の骨格を担う幹線道路として4車線を確保することとし、拡幅工事などを進めてきた。

 しかし、内藤町の交差点から千駄ヶ谷5丁目交差点付近までの約800mは唯一、細い道路さえ存在しない区間として残されてきた。

 主な理由は2つある。1つは、新宿御苑の敷地を通過する道路だったからだ。

 新宿御苑は、環境省が皇居外苑や京都御苑と並んで所管する国民公園だ。毎年春には、総理大臣主催の「桜を見る会」などが開かれることでも知られる。

 都市計画決定した当初の計画は、池袋方面に向かう北行き(外回り)と渋谷方面に向かう南行き(内回り)でそれぞれ2車線ずつ、計4車線を平面構造で造るというものだった。道路の幅は31~35m。新宿御苑の公園区域の一部を道路区域に変えて、道路を通す計画となっていた。

 この計画に環境省は難色を示した。道路の計画ルート上に、全国的に希少な樹齢100年を超える落羽松(らくうしょう)の群落があったからだ。新宿御苑内の湧水を水源とする湿地への影響も危惧された。環境省は新宿御苑の森を避けるよう東京都に要望した。

新宿御苑に並ぶ落羽松の大木。湿地などに生育するスギ科の針葉樹で、明治時代に植えられた。秋になると葉が鳥の羽のように落ちることから名前が付いた(写真:山崎 一邦)
新宿御苑に並ぶ落羽松の大木。湿地などに生育するスギ科の針葉樹で、明治時代に植えられた。秋になると葉が鳥の羽のように落ちることから名前が付いた(写真:山崎 一邦)

 もう1つの理由は、一部が支線とはいえ明治通りが既に開通しており、バイパスとして本線を整備する優先順位が低かったからだ。

 国や東京都が幹線として整備しなければならない都市計画道路は、都内に環状道路が8路線、放射道路が36路線。他の都道なども早急な整備が求められていた。優先順位を付けて事業を進めた結果、他の道路が先に完成したという経緯がある。

 その後、国土交通省などが新宿駅南口周辺の再整備に着手したことで、交通需要の増加が見込まれた。東京都は04年3月、都区部における都市計画道路の整備方針を定め、内藤町の交差点から千駄ヶ谷5丁目交差点付近までの区間を、優先して整備する路線に加えた。