PR

坂茂氏の代名詞ともいえる紙管建築は、構造家の故松井源吾氏との協働から生まれた。同様に現在は、スイスの構造家、ハーマン・ブルーマー氏との協働により、木の新たな可能性に挑んでいる。

 紙管建築のきっかけは1986年の「アルヴァ・アアルト展」(東京・AXISギャラリー)の会場構成に遡る。別の展覧会で使った布が巻いてあった紙管の芯が、事務所内にたくさん余っていた。「もったいない」と感じ、アアルト展の間仕切りや天井に使ったのが始まりだ。

 紙管の魅力に気付いた坂氏はその後、イベントのパビリオンなどに紙管を使用。94年には構造材として使った「紙のギャラリー」、翌年には「紙の家」(写真1-1)が完成する。構造体に使う過程では、構造家の松井源吾氏(1920~96年)が強度実験などに協力した。

写真1-1 紙管を構造体に
紙の家(1995年)。紙管を恒久建築の構造体とした最初期のプロジェクト。建築基準法旧38条認定を取得した(写真:平井 広行)
紙の家(1995年)。紙管を恒久建築の構造体とした最初期のプロジェクト。建築基準法旧38条認定を取得した(写真:平井 広行)

 松井氏が亡くなった後の2000年には、ドイツの構造家、フライ・オットー氏(1925年生まれ)の協力を得て、「ハノーバー国際博覧会日本館」が実現する。紙管のグリッドシェルで構成される幅35m、高さ16mのトンネルアーチは、坂氏の名を世界に知らしめた。