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カイコのための家

A:江戸時代後期に建てられた和田家(国指定重要文化財)の妻面 B:屋根裏に当たるアマでは養蚕が行われていた。妻側から外光が入る。床のスノコ状の部分を通して、下から暖気が上がってくる(和田家) C:「駒尻」と呼ばれる合掌の下端。尖っていて梁に載っている(神田家) D:棟の上のムナオサエと、屋根から突き出たミズバリ(長瀬家) E:居間に当たるオエ。曲がったチョウナ梁が架かる。囲炉裏の上には火の粉が天井に当たるのを防ぐヒアマが吊られている(神田家) F:白川郷荻町で年に1度行われる放水訓練の様子。放水銃59基のほか、屋外消火栓が38基、屋内消火栓が28基設置されている(写真:A~Eは磯 達雄、Fは岐阜県白川村)
A:江戸時代後期に建てられた和田家(国指定重要文化財)の妻面 B:屋根裏に当たるアマでは養蚕が行われていた。妻側から外光が入る。床のスノコ状の部分を通して、下から暖気が上がってくる(和田家) C:「駒尻」と呼ばれる合掌の下端。尖っていて梁に載っている(神田家) D:棟の上のムナオサエと、屋根から突き出たミズバリ(長瀬家) E:居間に当たるオエ。曲がったチョウナ梁が架かる。囲炉裏の上には火の粉が天井に当たるのを防ぐヒアマが吊られている(神田家) F:白川郷荻町で年に1度行われる放水訓練の様子。放水銃59基のほか、屋外消火栓が38基、屋内消火栓が28基設置されている(写真:A~Eは磯 達雄、Fは岐阜県白川村)

 合掌造りの棟には、伊勢神宮などの神社建築に見られる鰹木(かつおぎ)のようなもの(ムナオサエ)が載っている。また白川郷では、大家族が1つの家に住んでいたとされており、それが合掌造りの大きな家と結び付けて語られもした。秘境に生きる人々が、太古から残る家で暮らしている、といったイメージである。

 しかし、大家族制をとっていたのはごく一部の集落だということが分かってきた。アマと呼ばれる大きな屋根裏も、人が寝泊まりしていたわけではない

 では、何のための屋根裏だったのか。それは養蚕を行う作業空間である。そこではカイコが育てられていた。温度や通風なども、カイコにとって最適な環境となるようになっている。合掌造りは、人間の家であること以上に、カイコの家なのだ。

 現在では、養蚕を続けている家はないが、合掌造りの公開家屋には、かつて使われていた養蚕の道具が展示され、往時の様子をうかがうことができる。

 養蚕業は江戸時代に生糸が主要な輸出品となるにつれて発展し、日本の基幹産業となったものだ。合掌造りはそれが発展すると同時に生まれた。つまり合掌造りを古代の建築と見るのは全くの誤解であり、むしろそれは近代的な建築なのである。