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東京タワーを合掌に

 ここで1本の映画について触れてみたい。東宝の怪獣映画「モスラ」(1961年)である。

 怪獣といえば、ゴジラのように恐竜をさらに巨大化させたようなものがほとんどなのに対し、モスラは昆虫、それも蛾(が)の怪獣である。モデルはヤママユガと言われるが、幼虫の姿からはカイコガとも言われる。小野俊太郎著「モスラの精神史」(講談社現代新書)では、養蚕が日本の文化や経済発展と密接な関係を持っていることから、モスラがカイコである必然性が論じられている。

 これをもとに、モスラは合掌造りで生まれたという説を立ててみた。映画には南洋の島でモスラが卵からかえるシーンがあるが、心のふるさとは白川郷だった、と仮定するのである。すると、海を泳いでやってきたモスラの幼虫が、なぜ山中のダムにまず出現するのか、という謎が解ける。

 白川村には荻町以外にも幾つかの合掌集落があった。それが「モスラ」公開と同じ1961年に完成する御母衣(みぼろ)ダムによって、湖底に沈む。その際に合掌造りの民家も数多く壊され、あるいは移築を余儀なくされた。それへの復讐として、モスラはダムを襲ったのだ。

 ダムを破壊した後、モスラは東京の都心へと移動する。そして東京タワーをへし折って、合掌の架構をつくり、そこに繭を掛けるのだった。今は失われてしまった自らが生まれた家を、モスラは思い起こしていたのかもしれない。

 太平洋戦争後、人造繊維の発展などにより、日本の養蚕業は衰退に向かう。合掌造りもそれとともに数を減らしていく。日本の産業構造の変化と運命をともにした合掌造りという建築の歴史を、「モスラ」という映画は刻印していたのである。

(イラスト:宮沢 洋)
(イラスト:宮沢 洋)


文・写真:磯 達雄(ライター)「合掌造りの民宿で一泊。食事は飛騨牛とホオバ味噌」

イラスト:宮沢 洋(日経アーキテクチュア記者)「合掌民宿にはテレビがなく、することがないので午後8時に就寝」


連載の趣旨
本連載では古代から江戸末期までにつくられた日本建築を、4期に分けて取り上げていきます。現在は第4期の「江戸時代」。掲載は隔号の予定です。