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(写真:渡辺 圭彦)
(写真:渡辺 圭彦)
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 小林良三氏の名刺の肩書きには、現在「代表取締役」の上に墨が引かれ、手書きの文字で「棟梁」と書き加えられている。「4年前に息子に会社を譲ってからは、棟梁に戻りました」。嬉しくてたまらない、といった様子で小林氏は豪快に笑う。

 しかし、もともとは大工になりたいわけではなかったという。経済的な事情で高校進学をあきらめ、中学卒業後、親族の紹介で千葉県柏市の棟梁に弟子入りすることになった。

兄弟子がトイレを押し付ける

 いざ現場に出ると、不慣れな尺貫法、聞いたこともない専門用語が障壁として立ちはだかった。何を指示されているのかすら分からない。現場でまごつくたびに「ばかやろう」と怒鳴られる日々が続いた。

 それでも親方のそばを離れず仕事の段取りを覚え、現場では休憩時間にみんなが一服するなか、部材の墨付けを調べたり、月に2日の休みの日にも道具の手入れをしたりと努力を重ねた。「修業が大変と思ったことはない。実家で酔っ払いの父に絡まれることを考えれば天国だった」と笑う。1年もすると現場の戦力として数えられるようになった。

 すると兄弟子のいじめが始まった。小林少年が指示通りに加工した部材を「こんなんじゃダメだ」と理由も言わずに壊す。腕の見せどころとなる和室回りはやらせてもらえず、「おまえはこれでもやってろ」とトイレばかりをあてがわれた。「兄弟子にはよく『雪隠大工』なんてバカにされてましたよ」と小林氏。

 地元では番長として名を轟かせていたこともあり、理不尽な嫌がらせに思わず手が出そうになることもあったという。しかし、そのたびに「おふくろを泣かせるわけにはいかない」とぐっとこらえた。「仕事で見返してやる」と密かに心の内で誓ったという。

左は20歳代、右は30歳代前半の小林氏。独立後は約400軒以上の住宅を手掛けてきた(写真:水戸工務店)
左は20歳代、右は30歳代前半の小林氏。独立後は約400軒以上の住宅を手掛けてきた(写真:水戸工務店)
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