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象徴しない建物

A:正門から見た議事堂。正面玄関の右側が参議院、左側が衆議院となっている B:ピラミッドのような塔の頂部 C:中央塔の真下に位置する中央広間は、高さ32.6mの吹き抜け空間 D:御休所前の広間の天井 E:参議院本会議場。衆議院と異なるのは議長席の後ろに天皇が開会式に出席するためのスペースがあるところ F:天皇の控えの間となる御休所。中央広間から階段を上がった先にある
A:正門から見た議事堂。正面玄関の右側が参議院、左側が衆議院となっている B:ピラミッドのような塔の頂部 C:中央塔の真下に位置する中央広間は、高さ32.6mの吹き抜け空間 D:御休所前の広間の天井 E:参議院本会議場。衆議院と異なるのは議長席の後ろに天皇が開会式に出席するためのスペースがあるところ F:天皇の控えの間となる御休所。中央広間から階段を上がった先にある
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 福田によるコンペ1等案は、世界的に広まっていた古典主義建築の系譜に位置付けられるものである。それは当初の臨時建築局総裁の井上馨が推し進めた欧化政策の延長にあり、今で言うグローバリズムを表したものになっていただろう。

 一方、下田による和風案は日本の独自性を強調するもので、ナショナリズムを打ち出したものになっていたはずだ。

 しかし妻木の没後を引き継いだ大蔵省臨時建築局の吉武東里、矢橋賢吉、大熊喜邦らは、いずれの案も採らず、結局、独自の外観をつくっていくことになる。最大の特徴は、中央塔の屋根だ。渡辺案のドームを現在のピラミッド形へと変えたのである。

 ピラミッドで思い出される建築家といえば、磯崎新である。彼はロサンゼルス現代美術館(1986年)や東京都庁舎コンペ案(同)で、ピラミッドのトップライトを建物上に置いている。

 磯崎がピラミッドを好んだのは、古代エジプトに傾倒したわけではなく、それが純粋幾何学による立体だからだ。何かを意味するのではなく、何も意味しないために、この抽象的な形を用いたのである。

 国会議事堂においても、同じようなことが起こったのではないか。日本を象徴する建物として建築家たちから期待された国会議事堂だが、強力な技術官僚によって、何も象徴しない建物として出来上がる。

 しかし、その意味の空白こそが、逆に日本を象徴しているともいえる。そんなことを考えているうちに、この国会議事堂がなかなかに良い建物に見えてきたのであった。(文中敬称略)

(イラスト:宮沢 洋)
(イラスト:宮沢 洋)
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文・写真:磯 達雄(ライター) 「土産物店で国会議事堂の建物ミニチュアが付いたペンを買った」
イラスト:宮沢 洋(日経アーキテクチュア編集長) 「本会議が傍聴可って知ってました? 国会は知らないことばかり」


〔連載の趣旨〕

本連載では明治維新から太平洋戦争終結までに国内で建設された建築を3期に分けて取り上げていきます。既に連載終盤の昭和期。掲載は隔号の予定です。