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多くの建築家と協働し、空間で存在感を放つ家具を⽣み出してきた。宮脇檀建築研究室ではアシスタントとして多くの仕事に関わるも、実⼒不⾜を痛感。独立後、槇文彦氏の建築で手掛けた「くじらシリーズ」で脚光を浴び、新たな一歩を踏み出した。家具の介在によって「生き生きとした人々の風景」をつくることを目指す。

藤江 和⼦(ふじえ かずこ) 藤江和⼦アトリエ代表
藤江 和⼦(ふじえ かずこ) 藤江和⼦アトリエ代表
1947年富⼭県⽣まれ。68年武蔵野美術短期⼤学デザイン科を卒業後、宮脇檀建築研究室(69~72年)、エンドウ総合装備(73~77年)を経て77年に独⽴してフジエアトリエを主宰。87年に藤江和⼦アトリエを設⽴して現在に⾄る。建築家とのコラボレーションによる家具デザインを数多く⼿掛ける。主な家具デザインなどに「慶応義塾⼤学三⽥図書館」(82年、槇総合計画事務所)、「茅野市⺠館」(2005年、ナスカ)、「多摩美術⼤学図書館」(07年、伊東豊雄建築設計事務所、以下同)、「台湾⼤学社会科学院辜振甫先⽣記念図書館」(14年)、「みんなの森ぎふメディアコスモス」(15年)、「台中国家歌劇院」(16年)など(写真:花井 智⼦)
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若き日の葛藤編
脇事務所では「お手伝い」を脱せず

 武蔵野美術短期⼤学のデザイン学科を卒業して半年ほどウインドーディスプレーなどの仕事をした後、1969年に宮脇檀建築研究室に⼊りました。

 3歳年上の兄(磯崎新アトリエに⻑く務めた建築家の藤江秀⼀⽒、1944~2016年)の影響もあって、建築⽅⾯には近しい意識を持っていました〔写真1〕。兄の⼤学の卒業設計の⼿伝いもしましたし、家には六⾓⻤丈さん(現・六⾓⻤丈計画⼯房代表)、福永知義さん(現・槇総合計 画事務所)などがしょっちゅう出⼊りしていたのです。「宮脇事務所がデザイナーを探しているらしい」という話も兄から聞きました。

〔写真1〕兄・藤江秀⼀氏の影響で建築の世界へ
〔写真1〕兄・藤江秀⼀氏の影響で建築の世界へ
兄の藤江秀⼀⽒と。磯崎新アトリエが設計した群⾺県⽴近代美術館の増築⼯事(1994年)の頃(写真:安斎 重男)
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 宮脇檀⽒は、⽇本建築学会賞を受賞した「松川ボックス」(1971年、78年)などの住宅や、銀⾏、商業スペースの設計を精⼒的に⼿掛けた建築家だ。同時に、軽妙なエッセイの書き⼿としても活躍した。藤江⽒は、事務所を設⽴してから約5年という草創期の宮脇檀建築研究室に就職した。

 当時、家具デザイナーという職能はまだ確⽴しておらず、坂倉建築研究所や天童⽊⼯、百貨店装飾部などに家具をデザインする⼈がいたくらいという時代です。宮脇さんの事務所で私は、インテリアセクションを担当していた奥様の宮脇照代さんの下、建築の設計チームが設計した住宅や商空間のインテリア、家具のデザインなどを全部⼿掛けました。

 照代さんは企画⼒も実⾏⼒も備えた⼈で、今でいうプロデューサーでしょうか。コーディネーターやデザイナー、スタイリストなどの仕事をすべて1⼈でこなしました。

 私も、設計だけでなくディスプレーから撮影の準備まで、アシスタントとしてひと通り経験すること になります。「モダンリビング」などの雑誌や、企業の広報誌などに載せる説明⽂も書きました。

 初めて担当したのは、盛岡の「⻩⾊い銀⾏」(秋⽥相互銀⾏盛岡⽀店、70年)の家具やインテリアです。ほかにも銀⾏や商業空間、住宅「ボックスシリーズ」の造り付け家具、カラーコーディネートなど、いろいろやり、あちこちの都市を⾶び回りました。

 宮脇さんは⼿を動かすのが早く、しゃべりながらインテリアのイメージをどんどん絵に描いていきます。絵がとても上⼿なので、それでイメージはほぼ共有できました。あとは私が具体的な図に落とし込んでいきました。