剥落した壁や散乱した荷物が障害に
地震直後、北田家はどのように建物から脱出したのだろうか。重子さんは前震の発生時、玄関すぐ脇の部屋でくつろいでいた。突然、突き上げるような揺れに襲われた。照明は消え、室内は真っ暗になった。部屋から出て声を上げて家族の名前を呼んだ。まずは母親と長女と安全が確認できたという。
母親が居た居間は重子さんの部屋の正面にある。しかし、部屋の中は障子が倒れ、洋服ダンスから服が飛び出し、剥落した壁で足の踏み場がなくなっていた。居間の南面は縁側になっている。ここに春から福岡市で働き始めた長男の引っ越しの荷物がまとめてあった。荷物が縁側への道を塞いでしまい、外に出ることが難しかったとみられる。
長女は居間の北側の部屋に居たという。室内をみると天井が剥がれ落ちている。廊下側の壁も室内に向かって倒れていた。体力のある若者でなければ障害物をよけて部屋の外に出ることは難しいだろう。どこからか目覚まし時計の鳴る音が聞こえた。重子さんは「2階にある目覚まし時計が鳴り続けているが、1階の天井が落ちているので、怖くて止めにいけない」と話す。
部屋や廊下の壁は多くが剥落していた。地震の揺れに耐えられず、剥がれ落ちた木の板や石こうボードが行く手を塞ぐ。折れた木材などは先端が尖っているものもあるため危険だ。廊下の奥に目をやると、さまざまなものが通路を塞いでいた。木材などは少し片づけたようだが、自然光が差し込んで少し明るくなっていても先に進むのははばかられる。まして、暗闇でスマホの明かりだけが頼りな状況では、とても前に進めないだろう。
しかし、この廊下の先に父親の部屋があった。
重子さんは廊下の端から父親を呼んだ。部屋からは「たんすが落ちてきた。よう出きらん」と助けを求める声が聞こえてくる。助けたいが廊下は進めない。重子さんたちは北側にある勝手口から外に回って父親の部屋に向かった。しかし、勝手口も倒れていた靴箱が塞いでいた。靴箱をよじ登り、なんとか外に出ることができたという。