築63年で全員退去、建て替え工事に突き進むことになった宮益坂ビルディング。1969年にこのビルに入居して以来、最後まで残ったただ1人の権利者が関根きみさんだ。計画修繕もなく、場当たり的に補修や設備交換を重ねてきた築60年超の老朽ビルにたった1人で住むと、どのような苦労に見舞われるのか。
“日本最初の分譲マンション”とされる宮益坂ビルディング。東京・渋谷に立つこの建物の10階角部屋を所有する関根きみさんは、1969年からこのビルに住み続けてきた。若い頃は都心の商社に勤めていた。
「当時は夜、寝に帰るだけだったので建物のことであまり苦労はしてこなかった。生活をするために住んでいたわけじゃなく、仕事のために住んでいた。渋谷駅に近く、勤め人にとって立地は最高だった。入居当初は都会の夜景も見えたし、日曜日には富士山も見えた。南風が吹くと竹芝桟橋の汽笛が聞こえた」
「でも勤めを辞めた後、特に最後の3年は大変で精神的にきつかった。いくらしっかりした建物でも60年は厳しい」と振り返る。
宮益坂ビルディングは、地下1階と地上1階が店舗階、2階から4階までが事務所階、5階から11階までが住宅階という構成の複合用途ビルだった。しかし、渋谷駅徒歩2分の商業地域という立地ゆえに住宅階のほとんどの住戸は賃貸オフィス化し、実際に住んでいる区分所有者は数人しかいなかった。