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 東日本大震災から5年。被災地にただ行くだけでは分からないこともあるが、行かなければ実感できないこともある。この3月、震災復興のただなかにある宮城県石巻市と女川町を訪ねてみて、改めてそう感じた。

防災集団移転促進事業によって造成された石巻市桃浦地区の住宅団地。全5戸が高台に移転する。写真左端の樹木の切れ目からかすかに海が見える(写真:日経アーキテクチュア)
防災集団移転促進事業によって造成された石巻市桃浦地区の住宅団地。全5戸が高台に移転する。写真左端の樹木の切れ目からかすかに海が見える(写真:日経アーキテクチュア)
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 最も印象に残ったのは、全5戸で高台移転を進めている石巻市桃浦地区の住宅団地だ。「5戸」は、防災集団移転促進事業が適用される最小限の戸数。当初は、津波で全壊した24戸の移転が計画されていたが、大幅に減って最小規模になってしまった。造成工事が終わっている桃浦地区では、すでに新築住宅への入居が始まっており、住宅団地の一画で集会所関連の工事が進んでいた。

 津波で壊滅的な被害を受けた石巻市の牡鹿半島の集落は、もともとリアス式海岸沿いの小さな浜ごとに形成されていた。現在、半島のあちこちで10戸未満の防災集団移転促進事業が進められている。

低地から山の方向を見上げると、樹木の切れ目の奥に桃浦地区の住宅団地が顔をのぞかせる(写真:日経アーキテクチュア)
低地から山の方向を見上げると、樹木の切れ目の奥に桃浦地区の住宅団地が顔をのぞかせる(写真:日経アーキテクチュア)
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 行政は震災直後、小さな集落を集約しながら再建するプランを打ち出した。宮城県の村井嘉浩知事は日経コンストラクションのインタビューに応え、住まいや漁港を集約し、過疎地版コンパクトシティに挑む方針を示していた(同誌2011年8月8日号掲載)。しかし、そんな理想を掲げた復興プランは絵に描いた餅となった。

 通学や買い物といった日常生活にも難がある被災集落では、子どものいる世帯が市街地へと移り住み、浜から離れたくない高齢者が取り残される結果になっているという。生活の復興に向け再スタートを切ったその時点から、高齢者の割合が半数を超える限界集落となっている住宅団地も少なくない。石巻市によると、半島部の65団地のうち、桃浦地区を含む13団地で高齢化率が50%を超えている。

 もともと震災前から過疎化や高齢化が問題になっていた地域だったが、震災後はさらに深刻化している。高台移転を終えた後も残る社会問題だ。

 この理想と現実のギャップの甚だしさは、いったい何なのだろう。この問題を直視し、次代に生かさなければ、日本の未来は開けない。地方の再生などありえない。

日経アーキテクチュア2016年3月10日号特集「建築の挫折」から
日経アーキテクチュア2016年3月10日号特集「建築の挫折」から
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 日経アーキテクチュアは2016年3月10日号で「建築の挫折」と題する特集を組み、建築はなぜ震災復興で十分に役割を果たせなかったかを考えたが、過疎地対策という別の角度からも震災復興を検証する必要性を感じている。