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「ル・コルビュジエとアイリーン 追憶のヴィラ」予告編

忘れられていた真の設計者

 ところが「E.1027」の実際の設計者は、映画の主役で、恋人とともにこの邸宅に住んだアイルランド出身のアイリーン・グレイだ。現在の知名度こそ低いものの、同時代を生きたル・コルビュジエが羨むほど豊かな才能を持っていた。

 ル・コルビュジエが唱えた「近代建築の5原則」――ピロティー、自由な平面、自由な立面、水平連続窓、屋上庭園――を、アイリーンは模倣でなく独創として「E.1027」で具現化していた。5原則は巨匠の専売特許ではなかったわけだ。

 しかしアイリーンの業績の中心は家具などのデザインで建築家としては寡作であり、他方でル・コルビュジエの名声が世を覆ったため、建築史に大きな足跡を残すには至らなかった。

 「巨匠」と呼ばれる創作家と同時代の創作家たちの名声の差が、後世になると実力差以上に大きく隔絶するのはよくあることだ。例えば16世紀後半から17世紀前半にかけて英国では様々な劇作家が活躍したが、今ではシェイクスピアとその他大勢といった印象を抱く人がほとんどだろう。

 「一将功成りて万骨枯る」ということわざがある。偉大な将軍、転じて優れた人物が功績を上げる陰では、無名の部下や協力者などが数多く犠牲になっているという趣旨だ。

 ル・コルビュジエやシェイクスピアのような巨匠とそのほかの作家たちにもこのことわざが当てはまりそうだと思いかけたが、いや、必ずしも当てはまらないと思い直した。

 創作の世界で巨匠と呼ばれる存在は、名声を独占する一方で、属するジャンル全体の注目度や好感度を高める広告塔のような役割も果たすからだ。一般社会の家庭にいる子どもたちの憧れの的になり、そのジャンルへの入職を促す。結果として、同時代や後世の“万骨”に一定の恩恵をもたらしているといえる。

 知名度の低い建築家を主人公とする映画が制作され、さらに日本公開が実現したのも、建築の広告塔ル・コルビュジエの功績という見方ができる。脇役でありながら邦題では主役より前に名前があるのは、いかにも広告塔的な役回りだと感じた。映画に著名建築家が登場するかどうか、その名前がタイトルに含まれるかどうかは、興行成績に大きく影響するだろう。